さて、オシュトルはいちおう、信頼のおける配下には事の次第を話した。
 もちろん仕事として控えておくことはできないが、それとなく警戒しておいてくれるそうである。
 近衛衆は、オシュトルが鍛え上げた自慢の兵たち。一頼めば、十動いてくれる。だからこれで十分だ。
 オシュトル麾下の者たちは上司をよく慕っているので、ウコンが一人で乗り込むということにやや心配そうにしていたが、止めはしなかった。
 すぐ近くにいる分、オシュトルの強さもよく知っていたのである。

 ウコンは装備を整えると、夕刻になるのを待って、夕陽に目を細めながら西門のほうへ向かった。
 寺子屋は一見するとよくある建物で、構造におかしな点はない。
 だが、子どもたちが毎日通っているという生気は感じられなかった。
 綺麗すぎるのだ。汚れた箇所も、欠けた箇所も見当たらない。
 ウコンはまるで後ろ暗い事情を隠そうとしているかのように、背を丸めて庭に入った。足音も忍ばせなかったせいか、すぐに戸が開き、中から男の子が顔を覗かせる。
 ふわふわした大きな耳に、丸っこい目。白く柔らかそうな肌と、すんなり伸びた細い手足。そしてどことなくおどおどした、こちらの嗜虐心を煽り立てるような、そんな雰囲気。
 初めて見る顔だが、既視感がある。
 冠童。
 ウォシスが引き連れている儚げな少年たちを、ウコンは反射的に連想した。
 だが、彼らよりもずっと幼い。冠童は辛うじて元服を迎え、剣を持てるような年頃だが、目の前にいる男の子は、まだ性別さえ曖昧だ。

「はあい。誰かのとと様ですか?」

 見上げてくる瞳はまるで小動物のようで、頰はぷっくりと丸くて赤い。

「ああ。うちの坊主はいい子にしてたかね」

 腰を曲げて目線を合わせながら、跳ねた髪を掻き上げるようにして、人差し指でこめかみを叩いた。
 男の子はにっこりと笑う。青みがかった髪の艶やかさと、唇の赤さが目を引いた。

「こっちへどうぞ」

 小さな背中が戸の奥へ引っ込む。ウコンも彼を追って身を滑り込ませた。
 建物に足を踏み入れて、すぐに異様さで耳の毛が逆立つ。
 廊下から見る限り、教室らしき部屋には、子ども向けの小さな文机や行灯、書棚などが据えつけられている。よくある寺子屋そのものだ。

 それなのに、この香り。
 ウコンになってから知った匂いだ。質の悪い娼館で焚かれる、劣情を煽るためだけの、下品な香。
 視覚的な情報は何もかも健全なのに、嗅覚がそれを裏切る。その差異がひどく気持ち悪い。

 廊下は何度も水拭きされたせいか木材が傷んでいて、ウコンが足に体重を乗せると、きし、とかすかな悲鳴を上げた。
 男の子が緩やかに振り返る。

「ねえ、とと様。その腰に差しているものは何ですか」

 無垢な眼差しは、ウコンの刀に注がれていた。

「これかい? こいつは俺の相棒さ。傭兵なもんでね。こういうところでは、外すのが流儀か?」

 普通、春を売るような宿では、刃傷沙汰を防ぐために獲物の持ち込みは禁じられている。
 だが、男の子は愛らしい笑みを浮かべた。

「ううん、別にいいですよ」

 それきり興味を失ったかのように、また前を向いて歩き出す。
 一階の中央に廊下があって、その両脇に教室が二部屋ずつで、合計四部屋。廊下の奥に階段。
 ウコンは男の子について歩きながら、歩数から推測した面積と間取りを頭に入れる。
 四部屋の教室のうち、空いていたのは一部屋だけ。残り三部屋はぴったりと戸が閉められていた。
 階段を上り、手前の部屋に案内される。こちらも文机が並んだ小さな教室であったが、奥に大きな屏風があった。
 屏風の奥を覗くと、血のように真っ赤な布団が一組敷かれている。
 そういう趣向らしい。

「体を拭くのにお湯を持ってくるから、ちょっと待っててくださいね」

 男の子はそう告げて、教室を後にした。
 ウコンだけが残された部屋に、あえかな吐息が聞こえてくる。
 隣からだ。
 ウコンは再び廊下に出た。二階も一階と同じ構造のようだ。こちらは、ウコンが案内された教室の隣の部屋以外、戸が開いている。
 ほかにヒトの気配がないことを確認し、ウコンは躊躇いなく隣の部屋の障子を開けた。

「な、なっ」

 文机の上に仰向けになり、着物をはだけていた男が、泡を食って起き上がる。でっぷりとした体躯は急な動きに重心を見失ったらしく、ごろんと転がり落ちた。
 その上に乗っていた男の子が、無表情にこちらを見る。髪は金茶色だが、先ほどの男の子と年の頃は変わらない。

「お楽しみのところすまねえが、児童買春は懲罰の対象だぜ、旦那」
「いっ、い、いきなり何っ、んぐ」

 ウコンが目にも留まらぬ速さで男の首にある血管を絞め上げると、男は舌を出して気絶した。
 男の帯を使って、手早く縛ってしまう。

「さて」

 男を縛り終えて男の子のほうを向こうとした瞬間、視界の端にきらめくものが見えた。
 考えるよりも先に体が避ける。
 遅れて、ぴっ、と首巻きが切れた。かすかな痛みに、皮膚も浅く裂けたことを知る。

 頸を狙われた。

 そう察して、身構える。
 男の子は、大人の小指ほどの刃物を構えていた。それ自体はそこまで警戒すべきものではない。体が強張り過ぎており、持ち慣れていないことが容易に知れていた。加えて、ゆうに二倍近くはある体格差。
 しかし、この速度は何だ。
 ウコンの不意をつける者は、そう多くない。いかにも闘い慣れしていない幼児に、この敏捷さ。まるで教室と香のようにちぐはぐだった。

「見逃してください」

 舌足らずな声は、緊張に上ずっている。

「まあ待て。話を聞きな。今後のことを思えば、ここで捕まって、お上の沙汰を受けたほうが楽だぜ。逃げたって、お前たちの主に折檻されるだけだ。牢屋に入れば、少なくとも生きてはいられる。子どもはどうせ大した罪にはならねえ。すぐにまた出てこられるさ」
「主さまに……」

 男の子が喘ぐように言った。刃先が震え出す。
 纏っている粗末な着物は、片側がずり落ちて、丸い肩が覗いていた。ウコンの拳よりも細いそこに、点々と赤黒い歯型がついている。
 長い毛が生えたふさふさの耳は、片方だけ途中から千切れて先がない。

「捕まったら、どこへ行くの」
「お白州の後は、一時的に皇城の地下牢だろうな」
「……それは、駄目」

 男の子の刃先が定まる。
 ウコンの心臓を指していた。

「そんなところへ行ったら、主さまに見つかっちゃう。怒られる。ぼくたち、生きることを許されてないから、叱られる」
「どういうことだ。力になれるかもしれねえ、話してみねえか」
「話せない。話したら死ななくちゃいけない。死にたくない」

 ゆらりと、気配が増えた。
 ウコンを案内した子も含めて、男の子が新たに四人。
 いずれも丸腰だ。
 こう見えて呪法の使い手だとか、凄まじい計略を巡らすことができるとか、そういう風ではない。

 ただの幼子。
 なのに、纏わりつくような気味の悪さがある。

 刃物を構えた子が、前屈姿勢になる。そのわずかな動作から察知して、ウコンはがむしゃらに駆けてきたその子を迎撃した。
 右の太腿が、鳩尾を捉えた感触。
 どてっ腹を蹴り飛ばす。
 男の子が吹っ飛んで、障子をぶち抜いて廊下に投げ出され、向かいの部屋の障子までぶち破ってようやく止まった。
 命まで奪わないようとっさに加減したとはいえ、普通ならば、まともに呼吸などできなくなるはず。
 だが、ウコンが睨んだ通り、その子は立ち上がった。
 起き上がり小法師が起きるように。
 生身のヒトとしては、不自然な動き。
 他の子たちは、動じるでもなく、ただ棒立ちになってこちらを向いている。

「お前ら、何者だ」
「見逃してください」
「ほかに生きていく術がない」
「見つかったら殺される」
「死にたくない」
「死にたくない」

 ウコンの問いにも答えず、男の子たちが口々に言う。
 金茶色の髪をした男の子が、蹴られた衝撃で手放してしまった刃物を拾い上げ、再度構える。
 障子がなぎ倒されて、広くなってしまった部屋。
 ウコンには理解できた。間合いが広くてもさほど意味はない。この子どもたちは瞬きの間に距離を詰められるのだから。
 刀を取り上げられなかったのは、客が帯刀していようがしていまいが、身体能力で圧倒できるからか。

「見逃してくれないのなら」

 初めにウコンを迎え入れた、青い髪の子がしゃがみ込む。
 そこには、ウコンが縛り上げた男が寝ていた。

「殺す」

 男の無防備な首筋に、歯を立てようとする。
 一瞬、そちらに気を取られた。
 男は犯罪者だが、貴重な証人であり、言葉を話せる状態で連行する必要があった。

 それに何より、目の前で奪われようとする民の命に対して、まったく心を向けないわけにはいかなかった。

 白刃がきらめき、再び意識を引き戻される。
 遠くにいた男の子が刃物を構え、踏み込むのが見えた。
 初動が遅れた。完全に回避することはできない。ならばせめて負傷箇所を小さくしなければ。
 ウコンの獣じみた勘の部分がそう告げ、羽織を翻して身構えた時だった。

「ウコン!」

 味方の声だ。
 反射的にそう思った。
 鉄扇が突撃軌道上に投擲され、男の子が足を止める。

「着火!」

 容赦なく燃やされそうになり、男の子はさらに大きく退かねばならなかった。
 その隙に、鉄扇を投げた人物はそれを持ち直し、男の子たちとウコンの間に、幾人かが割って入った。

「兄さま! ご無事ですか!」
「ネコネ?」

 武器を構えて臨戦態勢を取っているのは、ネコネだけではない。
 ハク。クオン。オウギ。ウルゥル、サラァナ。

「ネコネもキウルも、お前に任せておけば大丈夫だって聞かなかったんだけどな。ほら、万が一ってことがあるだろ?」
「それで、念のため待機していたのだけど、ウコンが一向に出てこないから」
「いやぁ、しっぽりやってるんじゃなくてよかった。ダチのそんなとこに突入するのは、さすがに気まずいからな」
「もう、ハクってば。誰より心配してたくせに」

 ハクとクオンのやりとりに、張り詰めた空気が一瞬緩む。

「ちなみに、ルルティエ、アトゥイ、キウル、ノスリは外だ。今頃、逃げ出した客どもを捕まえてる頃だろ。あいつらの獲物は室内戦には不向きだし……約一名、暴れすぎて子どもまでやっちまいそうなのがいるからな」

 おにーさん、いけずやぇ、と唇を尖らせる姿が目に見えるようだ。
 ウコンは目元だけでわずかに笑んだが、すぐに険しい表情に戻る。
 助けようという気持ちはありがたい。
 ありがたいが、足手まといだ。
 敵はただの子どもではない。それでもウコン一人ならばやりようはあるが、ハクたちがいたのでは、庇いながら闘わなければならない。
 彼らの力では敵わない。その事実は、男の子の一人がオウギに飛びかかったことで証明された。

「く……っ」

 オウギの速度をもってしても、反応するのがやっと。
 おそらく、首筋を狙って噛みつこうとしたのだろう。交差させた剣を盾にして防いだが、衝突の衝撃で互いに吹き飛ばされた。

「オウギ!」

 ハクが声を上げる。受け身を取って衝撃を受け流せたのが見えていたので、ウコンは動かなかった。

「悪いが、全員で退避してくんな。逃げた客を捕えるほうを優先してくれ。ここは俺一人で何とかなる」
「……足手まとい。そういうことか」

 さすがにハクの理解は早かった。
 兄さま、とネコネが震えた吐息をこぼす。
 ちゃき、と鉄扇を持ち直す音がして、ハクの声が不思議とよく響いた。

「ウコンを全員で援護する。それが一番、全員が怪我を負う確率が低い。攻撃はウコンに任せる。オウギ、立てるな? 牽制を頼む。深追いはするな」
「承知しました」
「クオンとネコネは、ウコン、オウギ、そこの縛られてるおっさんの守りを固めて回復」
「了解かな」
「はいなのです!」
「ウルゥル、サラァナは距離を保つことを最優先。ギリギリ攻撃圏内に敵が入った時だけ攻撃」
「「御心のままに」」

 ウコンの口の端に、微笑とも苦笑ともつかぬ笑みが浮かぶ。
 現状では足枷に過ぎぬが、全員がハクの指揮通りに全力を発揮してくれれば、確かに力になる。

 しかし、予想外の敵を前に、そんなことができるだろうか?
 できるだろう。

 たぶん、ウコンだけではなく、その場にいた全員が思っていた。
 ハクの口調が自信満々だからだ。
 誰かがしくじるかもしれないなんて、考えてさえいないような声。

 じわりと、水がにじむように力が湧く。

 ウコンが踏み込む姿勢を作ると同時に、男の子たちの注意が集中する。
 オウギがひらりと舞い、先に攻撃を仕掛けた。
 迎撃される前に素早く身を引き、入れ替わりにウコンが肉薄する。
 助走をつけたまま、一人の男の子の腹に両膝を叩き込んだ。
 男の子が崩れ落ちる。勢いを殺しきれずに、転がって受け身を取ったウコンの背が、瞬間的にがら空きになった。
 そこに男の子たちが群がる。

「させるかっ!」

 鉄扇が閃き、怯ませた直後。

「「消え去って」」

 静かな詠唱。闇の力が凝縮し弾けた。
 ウコンによる打撃を受けた敵の一人は、崩れ落ちたまま沈黙。残り四人は、ウルゥルとサラァナの呪法によって蹴散らされ、起き上がりながらも呻き声を上げた。
 仲間たちがすかさず駆け寄ってきて、ネコネはウコンに守護の術をかける。

「守護の、陣よ!」

 背中合わせに鉄扇を構えたハクが、怒ったように言った。

「油断すんな!」
「後ろにゃアンちゃんがいるんだから、別にいいだろ」
「お前な」

 ハクが二の句を継げずにいるのが面白くて、ウコンは笑う。
 楽しい。
 國を背負って戦場を駆ける時とも、名のある武人たちと手合わせをする時とも違う喜び。
 ただ一人の男として、楽しかった。
 ウコンという人格はかりそめのものだが、こういう人生もあったのかもしれない。

「背中は任せたぜ!」

 勝手に言い置いて、突進してきた敵の攻撃をかわす。どわっ、と後ろにいたハクが叫んで、どうにかこうにか鉄扇で受けた。
 ぎゃりっ、と金属の表面が擦れて火花が散る。
 やはり、戦闘の訓練を受けた相手ではない。攻撃はただ向かってくるだけの一本調子。常人離れした素早さと耐久力が厄介だ。
 ハクに攻撃をいなされて大きく傾いだ体に狙いをつけ、加減することなく後頭部を蹴り飛ばす。
 男の子が吹き飛ばされ、壁に叩きつけられた。壁がぼろぼろと崩れ、破片が華奢な体の上に降り積もる。

 これで二人。
 残りの三人に連携されたら面倒だが、全員戦闘の経験は浅いらしい。明らかに動きがぎこちない。
 ならば、慣れる前に倒して捕える。
 体が軽くなる。クオンがウコンとハクに術をかけたようだ。

 オウギが壁沿いに駆け、跳躍して剣を振りかぶる。
 残りの三人の注意がそこに向いたので、ウコンは背後から両脚で一人の首に組みつき、体を捻って頭から床に叩きつけた。
 小さな体が逆さまになって床板に突き刺さる。軽すぎて調子が狂った。だから、頭が割れるほどではなかっただろうが、それでもかなりの衝撃があったらしく、動かなくなる。

 あと二人。青い髪の子と、刃物を持った金茶色の髪の子が残った。オウギは一歩引いて体勢を立て直している。
 青い髪の子が、攻撃直後のわずかな隙を狙ってウコンに飛びかかってきた。予測していたハクが鉄扇で力任せに弾き、吹き飛んだところをウルゥルとサラァナが刈り取る。

「帰って。見逃して。殺す。殺さないで」

 言葉は混乱した風なのに、表情は人形のように動かない。青い髪の男の子のこめかみから、だらりと赤い血が流れる。ウコンたちと同じ血は通っていたらしい。

「だから、事情を話してみろと言ってるじゃねえか」

 ウコンの声は届かなかった。

「主さま!」

 赤子の泣き声のようなものを上げて、青い髪の子が向かってくる。
 水面蹴りで転ばせ、仰向けになった腹に力を込めて飛び乗り、踏み抜いた。

「ごぁ」

 男の子は短く苦悶の声を出したきり、気絶したらしい。

「あと、一人」

 クオンが苦無を握り直す。
 ネコネは錫杖を敵のほうへ向け、オウギは優雅に双剣を構え、ウルゥルとサラァナは手を握り合った。

「みんな、気を抜くなよ」

 言いながら、ハクがウコンの背から顔を出した。
 もとより青ざめていた金茶色の髪の子が、ハクを見て絶望の表情を浮かべる。
 何かあるのか。
 ハクに?
 最大限警戒しながらも、ウコンは疑問に思う。
 端が切れて血の滲んだ唇が、わなわなと震えていた。

「あるじ……さま……?」
「はぁ? ウルゥルとサラァナ以外にそう呼ばれる筋合いはないぞ」
「独占」
「わたしたちだけの主さまですので」

 音もなく気を高めていた鎖の巫が、誇らしげな表情で胸を張る。ウコンとクオンは、同時に同じ顔をした。
 ネコネも眉をひそめる。

「まさか……破廉恥なヒトだとは思っていましたが、稚児趣味まであったのですか」
「おやおや。道理で姉上の魅力に眩暈を起こさないわけですね」
「ちょっと、二人とも。いくら何でもそんなわけないでしょ。ない……よね?」
「当たり前だろッ。他人の空似に決まってる! だいたい、自分の好みはこういうのじゃなくてだな」

 ハクの好みがどんなものか、ウコンは結局聞きそびれた。
 男の子の顔がくしゃりと歪み、大粒の涙が溢れ出す。片方欠けた大きな耳が力なく垂れ下がった。

「ごめんなさい、主さま。ぼくら、皆みたいになれなくて、お役に立てないから捨てられたのは分かっていたけど、でも、生きていたくて」

 相手に害意があると理解していても、あどけない子どもがしゃくりあげる様子に、場がしんと静まりかえる。
 男の子は片手で刃こぼれした小刀を握り締め、もう片方の拳で涙を拭った。
 その唇が、神の名を呼ぶように恭しく動く。
 うぉしすさま。
 見間違いでなければそう動いた気がしたが、確かめている暇はなかった。

「アンちゃん!」

 傍らのハクを引きずって飛び退る。離れたところにいたクオンとオウギが、それぞれネコネやウルゥルとサラァナを庇うように立ちはだかった。
 ごめんなさい、と一言残して、五体の人影が一斉に爆ぜた。

「兄さま!」
「ハク!」

 鉄臭い爆風に紛れて、ネコネとクオンの声がする。
 大した規模の爆発ではない。おそらくは単なる目くらまし。大丈夫だ。
 そう叫び返しても構わないのだが、体の下に敷いたハクが、なぜか渾身の力でしがみついて、というより下に引っ張ってくるので、声が出しづらい。
 ウコンは手探りで、ぽんぽんとハクの肩を叩いた。柔らかくふかふかした素材の赤い外套が、土埃で汚れて固くなってしまっている。

「アンちゃん、そう引っ張られると髪が抜けちまう」
「しかし……頭下げとかないと危ないだろ? というか、怪我は」
「ない。あれは攻撃じゃなく……」

 ウコンはハクの腕を外して起き上がり、つい先刻まで男の子たちがいた地点を見つめた。
 そこには何もなかった。床板に焦げたような跡がついているだけだ。もしもそこらじゅうに肉片が散らばっていたら妹には見せたくないと思っていたが、それすら見当たらない。

「……小規模な爆発でこちらを怯ませた隙の、自害。死体も残らないのは妙だが」
「そうか。まあ、何から何まで妙だったな」

 ハクも上体を起こし、ぱちんと鉄扇を閉じて帯に差し込んだ。
 その音に、全員が戦闘態勢を解く。
 ウコンだけは難しい表情を浮かべたままで、ハクが慰めるように肩へ手を置いた。

「残念だったな。せっかく、斬らずに捕らえられそうなところだったのに」
「何でェ、気づいてたのかい」

 ウコンは眉根を寄せたまま、羽織の裾を払って立ち上がった。
 刀を抜かなかった理由は二つ。一つは、室内で振り回すと味方に当たるおそれがあるため。
 もう一つは、なるべく子どもを斬りたくなかったから。
 あの相手と一対五ならば抜刀せざるを得なかったかもしれないが、ハクたちが援護してくれたので、力を調節しながら闘うことができていた。このまま、あの子たちを殺さずに制圧することが可能かと思ったが。
 結局、救えたのは自分たちの命だけだった。
 もっと強くならねばならない。この手から取りこぼすものが、できるだけ少なくなるように。
 決意を新たにした。
 わざと声を張って、気持ちを切り替える。

「……さて! ここで話し込んでても仕方ねえ。そこのおっさんと外の連中が捕まえた客ども、まとめて検非違使に突き出すとしようぜ」
「ウコンはその前に、首の傷の手当てが必要かな」

 連絡のために外へと消えたオウギを見送り、転がった文机をひょいと乗り越えて、クオンが近づいてくる。

「んぉ? これぐらい、放っておいても……」
「駄目。あなたが一人で無茶すると、ネコネやハクがすごーく心配するんだから」

 クオンの尻尾が鞭のようにしなり、たしん、たしん、と文机を叩く。
 心なしか、児童買春の噂を知らされた時と同じくらいご機嫌斜めだ。

「よーしクオン、あの死ぬほど沁みる薬を塗ってやれ」

 ハクが他人事のように囃し立てる。本当にウコンの身を案じていたのかと疑わしくなるほどの変わりようである。
 そこでウコンは、さっとハクの背後に回り、可能な限り軽めに腕を極めて押さえつけた。

「ネェちゃん、アンちゃんも肘を擦りむいてるから、先に薬を塗ってやってくれ」
「え? いや自分は……あれーっ!?」

 指摘されて初めて擦り傷に気がついたらしいハクが、素っ頓狂な声を上げる。
 じたばたと暴れ出すものの、ウコンにとっては児戯に等しい。
 クオンにとっても同様だったようだ。あっさりとハクの右腕を取り、豪快に袖を捲り上げる。

 ハクの金切り声がこだました。

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