珍しく、苦渋に満ちた表情のムネチカとすれ違った。
「いかがされた、ムネチカ殿」
思わず声をかける。
ムネチカは足を止め、はぁぁぁと大きなため息をついた。
「オシュトル殿か。貴殿も当然、アレなのだろうな。貴殿ほどの漢だ」
「アレとは」
「うむ。聞いてくれるか。いや、至極個人的な話なのだが。……釣書が」
「釣書?」
「故郷の父から、山ほど送られてきて困っている」
回廊で立ち話もなんだからと、資料室に入って要りもしない資料を探すふりをしながら、ムネチカがまたため息をつく。
ははあ、とオシュトルは内心頷く。
事の次第はこうであった。
まとまった休みが取れたので、ムネチカは先般久しぶりに実家へ帰った。
出迎えてくれた父親は、いたく感動したらしい。
武芸に打ち込み、戦場を駆けるには申し分ない娘だが、どうにも遊びというのか、色気というのか、そういったものに欠ける。
趣味といったって、一人で部屋にこもってひたすら手芸に打ち込んでいたのでは、友達や恋人ができようはずもない。
精神的な成長は、人々との触れ合いの中で生まれるもの。この子はこんなに我が道を往くばかりで、一人のヒトとして大丈夫なのか。
そう思っていたのが、八柱将を拝命して貴人と頻繁に交流するようになったからか、洗練され、雰囲気がぐっと柔らかくなった。
これはいい。
武に秀でるだけではなく、ヒトとしての円熟味が増した娘。どこに出しても恥ずかしくない。さて、どこに出そう。
ムネチカの父は、自身も高名な武人。
ただ、先日利き腕に怪我を負い、ようやく剣を振るうのをやめて後進に道を譲ったところであった。
要は、暇なのである。
以来、こっちはどうか、駄目ならあっちはどうだと、ひっきりなしに釣書が送りつけられてくる。
お役目もあるからまだそのようなことは考えられぬと断るのだが、先方の面子もあるし、娘に冷たくされたと三回に一回は父が落ち込むので、断る言葉にも気を使う。
いい加減うんざりし始めていたところに、脱走したのを常のごとく捕らえられた姫殿下が、「そんなだから結婚できぬのじゃ!」と負け惜しみを言ってきたので、とうとう臨界点に達したらしい。
渋い顔になるわけである。
ハクあたりが聞いたら、そりゃ上司が言ったらせくはらになるぞとかなんとか、オシュトルの知らぬ言葉で同情したことだろう。
「オシュトル殿は女性にも人気であるし、縁談を持ち込まれることもあろう?」
「まあ、ないとは言わぬ。かわしてはいるが、先方にもいろいろと思惑があるようでな」
「お互い、苦労するな」
と言って、ムネチカはまたため息を一つ。
おいおい幸せが逃げるぜとウコンなら窘めたかもしれないが、あいにくオシュトルはそういうことを口にする男ではなかった。
「だいたい、結婚というのは、そういうものではなかろう? 運命に導かれ、魂の片割れを見つけて恋をして、それがあってから至るのではないのか」
ムネチカが、まるでアトゥイのようなことを言う。直前に読んだとある書冊に影響を受けているからなのだが、オシュトルには知る由もない。
「そして、たとえ浮世のしがらみがあろうとも、一度夫婦となったからには互いに高め合う存在となれるよう邁進すべきだと、瓦版の『読者の声』に書いてあった」
「互いに高め合う……か」
もちろん二人とも理解している。これは笑ってしまうほどの理想論だ。特に二人のような立場の者においては。
結婚相手と互いに高め合うことを望んで一緒になる者など、殿上人の中に果たしてどれだけいるか。そんなものよりも、跡取りを残せたり、強い後ろ盾と繋がりができたり、そうでなければ、もっと下衆な目的を満たせることのほうが重要だ。
思い出すのも腹立たしいが、ネコネが殿試に合格したばかりのころ、その手の申し出があった。
ネコネはまだ、エンナカムイから帝都に居を移す旅の途中だった。だから幸いにも、そんな話は耳に入れずに済んだ。
ネコネと結婚すれば、将来有望な才女を自分の望むように育てることができるし、田舎出の若造とはいえ右近衛大将との縁も作れる。
代わりに、オシュトルにとっては旧家の跡取りが義弟となり、後ろ盾ができる。双方にとって悪い話ではない。
その男は、殿試の結果を取りまとめる仕事をしていたから、ネコネがオシュトルの妹だと知っていた。
オシュトルはことさらに二人が兄妹だと示したことはなかったが、隠しもしていなかった。この時までは。
男は、仮面の下まで透かして見ようとするかのように、瞬きもせず濁った眼をオシュトルに向けていた。
……オシュトル殿の妹ならば、容姿も愛らしいに違いない。
大輪の花を愛でるも良いが、蕾をこの手で育てるも一興。
花びらを一枚一枚、この唇で触れて、開いて差し上げたい。
そこから先は、場に居合わせたミカヅチが義憤に駆られたため、オシュトルの耳にも入らなかった。ミカヅチがやらなければ、遅かれ早かれオシュトルの方が男の舌を引っこ抜いていただろうが。
その一件で、オシュトルは学んだ。
か弱いものを自分のすぐ側に置いていてはいけないのだ。身を守れるような安全な場所に隠しておき、そこにいる間に、どうにか力をつけてもらうしかない。
それからずっと、オシュトルは一人だ。
ヤマトで暮らすヒトのほとんどが、オシュトルよりも弱いのだから。
「貴殿には何かないのか。伴侶に求める条件など」
ムネチカに問われ、不愉快な記憶の海からふと現実に舞い戻った。
そういえば、ウォシスに呼ばれていた。
大した用件ではないから手すきの時に来い、とのことだが、彼との用事は早めに済ませるに限る。嫌なわけではない。ただあの御仁は、どうにも趣味がよろしくないのである。同席していると、心が少しずつ削がれてゆく気がする。
ムネチカの問いにはとりあえずこう答えた。
「そうだな。務めに理解があり、背中を預けられる方が良いだろうな。後は、ときどき酒でも酌み交わせれば、言うことはない」
ぼんやりとした、まるで答えになっていないような返事だったが、なぜかムネチカは雷にでも撃たれたように薄い色の瞳を見開いた。
がっ、と一歩踏み出す。
女性としては長身のムネチカに詰め寄られたためか、やけに圧迫感があり、オシュトルはつい半歩退きそうになった。
「側にいるではないか。うってつけの者が」
「そうであろうか」
オシュトルの側にいる女性となると、軍人か貴人。ただ、側にいると呼べるほど近しくはない。さて、ムネチカは誰のことを言っているのか。
「ハク殿が」
「……ハク殿?」
「ああ。貴殿の仕事に理解がある」
「それは、某に雇われている身であるからな」
「いざという時には頼りにもなる」
「確かに、最近ようやく体力がついてはきたようだし、悪知恵も人一倍働くが……」
「酒も嗜む」
「それは、そうだが。ムネチカ殿? そもそもハク殿は男性であって」
「それが何だというのだ。お飾りの女と、何でも助け合える男だったら、人生を共にする伴侶としては後者の方がいいだろう」
そりゃそうかもしれないが。どうやら、ムネチカの中の何かに火をつけてしまったらしい。
ルルティエやアンジュの影響で耽美趣味があるのを抜きにしても、ムネチカはハクを高く買っている。単に素晴らしい友人を勧めているくらいのつもりでいるのだろう。オシュトルもハクを評価しているので、気持ちはわかるが。
あまり彼女を昂ぶらせても何なので、適当なところで切り上げてムネチカと別れ、オシュトルはウォシスの執務室へと急いだ。
ハク殿。
ハク殿か。
ムネチカの発言を真に受けたわけではなかったが、なんとなく白楼閣へ行きたくなった。