きみが主役

 東摩龍介は寝不足だった。
 朝晩の冷え込みが一段と厳しさを増すこの季節、本当ならば少しでも長く布団にくるまっていたい。だが今朝はそうも言っていられず、いつもより二十分早く家を出た。
 それもこれも、変な夢を見たせいだ。
 また思い出しそうになって、ぶんぶん頭を振る。忘れよう。あれは幻覚の類だ。現実とはかけ離れたあり得ない空間なのだ。
「――龍ちゃん」
「だあぁぁっ」
 そう考えながら校門を通過したところで突然声をかけられ、龍介は足元の花壇に躓いた。枯れかけたほうき草に突っ込んでしまいチクチクする。
 体を起こして花壇に座り、細かい枝を払った。支我は困惑している。
「すまない、そんなに驚かせるつもりはなかったんだが」
「いや。おはよ」
 迂闊に喋ったらボロが出る。龍介は顔を地面へ向けて固定し、機械的に手を動かした。
 ふいに視界の外から指先が伸びてきて、びくっとする。支我は龍介の髪に絡んだ小枝を払い、乱れた髪型を直してくれた。
 いよいよ顔を上げるわけにはいかなくなった。彼は、自分自身に対しては無頓着だが、周りの人間のことはよく見ている。
「今日は早いんだな」
「まあね」
「……何かあったのか?」
 そして根が善人なので、突っぱねたら突っぱねたで気遣ってくれる。他人のことなんか放っておけばいいのに。だがそれは支我の美徳だから、捨ててほしいとは思わない。
 龍介は覚悟を決めた。花壇から腰を上げ、アスファルトにしゃがみ込む。正座といきたいところだが、支我のほうが奇異の目で見られてしまうだろう。早い時刻とはいえ生徒は続々と登校してくる。
「正宗。おれを殴ってくんねーかな」
「いきなりどうしたんだ? 何があったか知らないが、俺でよければ力になるよ」
 うつむいた頭の上に手を置かれる。あまりのいたたまれなさに、龍介はぎゅっと己の両膝を抱いた。
「……実は、今朝、いかがわしい夢を見た」
「第二次性徴を迎えた男子なら、そうおかしなことではないと思うが……」
「お前が主役だったんだよ!」
 龍介は小声で怒鳴り、手で顔を覆った。まるで親友を汚してしまったかのような罪悪感。見て見ぬふりをしていた下衆な欲望を他ならぬ自分自身から突きつけられた気がして、心の中がしっちゃかめっちゃかになる。いやまあ百パーセント純粋な目で見ているかといえば。でも知らんぷりしておきたい。思春期の情欲なんて直視しきれない。
 己を持て余す龍介の心情など知るよしもなく、支我は爽やかに聞いてくる。
「へえ。どんな夢だったんだ?」
「どっ、……なっ、なんてこと聞くんだよ、お前はぁ」
「興味がある。聞かせてくれないか」
 龍介は口ごもったが、目の前にいる知的好奇心の塊には勝てず、ぼそぼそと白状した。
「授業中、お前のほう見たら目が合って……、笑われて、すげードキドキするけど、バレたらやばいと思って、必死で抑えるっていう……夢」
「……いかがわしい夢か? それは」
「そう言われると……普段と変わんないかも」
 思ったより罪は軽かったのかもしれないと知り、龍介は顔を上げた。直後に気づく。
「あっ、いや、別に普段からそうだってわけじゃ……なんだよ! その顔は!」
「いや? 耳が赤いから、寒いのかと思って」
「暑いの!」
 これはもう明白にからかわれている。支我はとうとう声を上げて笑い出した。こんなふてぶてしい男に、しおらしく膝をついてやる筋合いはない。龍介は花壇へ座り直した。早く耳の熱が冷めるよう、両手でつまんで引っ張る。
「夢に現れる日常の欠片を《日中残滓》といって、隠れた感情の暗示として捉えることもあるそうだが……そこまで気にする必要はないんじゃないか? よく繰り返している行為だから、印象に残っていただけだろう」
「なのかなぁ。でもなんか気持ちよかったんだよな」
「それを俺に報告されてもな」
 支我が苦笑し、何事か考え始める。
「俺の夢に龍ちゃんが出てくるとしたら、どんなものになるかな。笑っていて、くっつかれて、ドキッとするような……これじゃ、やはり普段と変わらないか」
「あっそ」
 気恥ずかしさのあまり、短く返答する。支我は気を悪くしたそぶりもなく、朗らかに笑った。
「もし見たら、どんな夢だったか教えるよ」
「いいって!」
「知りたくないか?」
「ない」
 本当はちょっと知りたい。
「……んなことより! もう予鈴鳴るぞ。ほらほら、遅刻しても知らねーぞぉ」
 立ち上がり、校舎の時計を指さす。支我がくすくす笑いながらついてくる。
 その笑顔が傍らにある限り、明け方の動悸を忘れるのは難しそうだった。