男は動かない。
立ち上がった体勢のまま、広報部のスタッフたちも動かない。
唯一、九龍だけが筋肉を稼働させ、声を発している。
「散歩? それ以上元気になってどうすんの」
「そりゃ、生涯現役を目指すに決まっとろうが」
ハンターとして、という話ではなさそうだ。男の鼻の下が伸びている。
「はあ……。まあ、秘訣が見つかったら教えて」
「お主には必要ないじゃろ。そっちの坊主はともかく」
男が下卑た眼差しを皆守へ向けてくる。その視線から庇うかのように、九龍が立ちはだかった。
「他人の夜の過ごし方を推測するのやめてよ」
「ふん、誰が汗臭い小童どもの情事なぞに興味を持つかい。心配せずとも、お主のような間抜けは機能が衰える前に早死にするわい」
「なんだよー。縁起でもない」
男は、にやにや笑いをすっと引っ込めた。どこにでもいる色ボケした年寄りという幻想が、瞬く間に瓦解する。
「《秘宝》を入手し損ねたあげく、尻尾を巻いて逃げてきたそうじゃな」
「いや……俺とバディの身の安全を優先して、いったん帰還しただけで」
「手ぶらの《宝探し屋》に帰る場所なぞないわ、役立たずめ」
平板な物言いに、かえって周囲の人々が怯えの色を覗かせる。辛辣な言葉をぶつけられた本人の背は、少なくとも皆守が見る限りでは、いつもどおりに伸びていた。
「お主とバディの命の価値なぞ、《秘宝》の足元にも及ばんわ。悔しかったらとっととお宝を持ってこんかい。いっひっひ」
男はニタリと笑い、SPを引き連れて姿を消した。
九龍がくるっと振り返り、大股で皆守のもとへ戻ってくる。顔には特大の文字で「ムカつく! ムカつく! ムカつく!」と書いてあった。
「……お疲れさん」
皆守はとりあえず、九龍の耳の後ろあたりに指を差し込んで撫でた。彼はこういうとき無口になる。傷ついているわけではない。日本語で罵倒できるだけの語彙を習得していないだけだ。
《秘宝》を覆う氷を砕こうとした九龍を、力ずくで止めたのは皆守だった。詫びの一つも入れるべきだろうか。後悔はしていないが、その行動によって彼は依頼達成に至れず、叱責を受けるはめになった。たとえバディの独断によるものであっても、遺跡で起きたことの責任はすべて《宝探し屋》が被る。それが《ロゼッタ協会》の考え方だ。
「あー、九ちゃん」
「……甲ちゃん。俺は絶対にあの《秘宝》を手に入れるぞ。終わったら飲みに行こう。そのときは途中で寝ちゃわないで付き合って」
「まあ……三十分程度なら」
「もう一声。せめて四十五分」
「仕方ない。たまには酔っ払いの相手をしてやるのも悪くはないか」
皆守の言葉でよりいっそう燃えたらしい九龍が、くわっと吠える。
「あのジジイ、絶対ぎゃふんと言わせてやるからな!」
人は、観念したとき本当に「ぎゃふん」と言うのだろうか。疑問だったが、突っ込まないでおいた。