【二〇〇四年十二月三十日】


 次の任地については日本時間で年内に詳細を連絡する、という通達が遺跡統括情報局から届いた。
 年内といえば、今日を含めて残り二日だ。幸い怪我の経過は順調で、フライトにも耐え得る体力が戻りつつあった。次も日本国内か、それとも海外になるかは不明だが、このままいけばどこであっても問題なさそうだった。
 そうなれば、現実的には荷物の始末について考える必要がある。病室に持ち込んでいるものでいえば、鴉室にもらった漫画本は、次の任地にまでは持っていけない。申し訳なく思いつつも処分することにした。
 捨てる前にぱらぱらと読み返す。女子高生と男性教諭を主役に据えた純愛ものだった。校内でおっぱじめるのが純愛と呼べるかは怪しかったが、帯にはそう記されている。
 みずみずしく豊満な肉体を持つ女子高生に籠絡され、はじめは逃げ腰だった男性教諭が、ずるずると肉欲に溺れてゆくというストーリーだ。よくある話ではある。
 もし九龍がこんな風に迫ってみたら、彼はどんな反応をするのだろう?
 浮かんだ疑問は瞬時に撃ち落とされた。ドン引きされて、正気を疑われるだけだ。なんなら目を覚まさせるため、脳天に蹴りの一発もくれるかもしれない。
 アホらしい、と九龍は冷めた思いで本を閉じ、捨てるものの山のてっぺんへ置いた。
 何から何までどこかの誰かに結びつけて考えてしまうことは、いますぐには止めるのが難しそうだったが、それほど思い悩んではいないつもりだった。悩んだところで、彼との関係をどうすることもできない。それならほかのことに頭を切り替えるのが葉佩九龍という人間だった。
 病院内の私物は少なく、漫画のほかは二、三日分の着替えと、いつもの癖で入手した備品がいくらか。「泥棒の間違いだろ」と彼なら言うだろう。ここでの日々を快適に過ごすためだから見逃してほしい。
 あとは、寮の自室に残っている荷物。武器と弾薬は持っていく。ほかには、ファラオの胸像、カレー鍋、遮光器ぬいぐるみ、戦隊ポスター、ダーツボード、真実のポスター、武者鎧……。
 捨てられない。
 九龍は頭を抱えた。
 持っていくことはできない。鑑賞用の鎧を持ち歩くハンターがどこにいるのだ。だが、かといって廃棄することもできない。したくない。
 つまるところ、九龍は失敗したのだ。皆守は極端な例としても、バディたちに思いを寄せ過ぎた。相応の対価を渡して、人生のほんの一時だけ運命をともにし、目的が済めば死ぬまで会わない。それでよかったはずだ。情は照準を鈍らせる。
 結局、床頭台に積んである漫画も含めて、私的に借りたスペースへ輸送することにした。不要な段ボール箱でもあればもらってこようかと、九龍は病院の一階にある売店へ向かった。
 リハビリも兼ねて階段を使ったが、やはり損傷箇所が引き攣れたように痛む。ようやく一階に到達して一息つき、廊下でモップをかけていた清掃業者に「お疲れ様です」と挨拶したそのとき、エレベーターの扉が開いた。
 横に広がってゆく長方形。その中央に光るものがあった。
 銃口。
 とっさの判断で、自動販売機の陰に転がり込む。コンマ数秒遅れて銃声が弾けた。
 見舞客こそいなかったが、一階には受付や売店がある。スタッフたちの声なき悲鳴がこだました。
 この反応からして、襲撃者は病院とは無関係。数は一人だと思うが、エレベーターの扉が開ききっていなかったので確信はできない。対して、こちらは病み上がり。入院着の上に羽織ったパーカーのポケットに入っているのは、H.A.N.TとHBの鉛筆、替えの靴下。
 入院中ゆえ、貧弱な装備しかない。相手を制圧することではなく、無事に退避することを優先させる必要があった。
 ……というのは、こちらが孤軍奮闘を強いられるならの話だ。

「ちょっと、困りますよォ! モデルガンなんか振り回して。お連れさんは一緒じゃないの?」

 困惑しきった男の声がする。売店と受付のスタッフは全員女性だから、声の主は清掃業者の男性だろう。
 モデルガンなんか振り回して。お連れさんは一緒じゃないの。
 つまり、目視可能な範囲に拳銃以外の武器は所持しておらず、単独行動。彼の見立ては正確だから、危険物を隠し持っているということもなかろう。九龍も舐められたものだ。

「いや〜、懐かしいねェ、そのオモチャ。よっぽど貧乏な組織じゃなきゃ、いまどきそんなの支給しない……うおっとォ!? 俺に向けんなよ、善良な一般人だぞ!」

 いつまでやっているつもりだろう。
 清掃業者の悠長な語り口に焦れて、九龍は空き缶が詰まったゴミ箱を渾身の力で蹴り倒した。
 ガラガラガラガラ、と耳をつんざく音の向こうで、意気揚々と叫ぶ声が聞こえる。九龍の意図を汲んで、襲撃者がゴミ箱に気を取られた隙に討つ心算だろう。

「おおっと、どこに目ェつけてんだ? ジェネティック・キャノン!」

 ぱすん。
 気の抜けた音が響く。

「……あれ?」
「だぁ、もう」

 九龍はついに、自動販売機の陰から飛び出した。
 清掃業者と向かい合っていた襲撃者がこちらを向く。
 銃口が九龍を捕捉する前に懐へ入り込み、ポケットに入っていた鉛筆を相手の手の甲へ突き立てる。先端が骨を捉える感触。続けて手を蹴り上げたことで、拳銃が宙を舞った。
 片手は相手の襟首を、もう片方の手は相手の腕を掴む。踏み込みから、自分の腰で相手の体をすくい上げて脚を払う。
 払い腰。襲撃者の体が一回転して床に叩きつけられた。
 ニーオンザベリーの状態で押さえつけられてもなお、襲撃者は膝の下でもがいていた。その頭に、今度こそ力の塊が炸裂する。

「ジェネティック・キャノン! ……安心せい、峰打ちじゃ、ってな」

 清掃業者の制服を身につけた鴉室が、完全に沈黙した襲撃者を見下ろしにやりと笑った。九龍は念のためにマウントポジションを維持したまま指示を出す。

「とりあえず、掃除機のコード貸して」
「はいよっと」

 キャッチした拳銃に安全装置をかけ、鴉室が手早くコードを引き出す。厳重な拘束の上、舌を噛むのを防ぐために、口の中には九龍が持っていた替えの靴下を突っ込んだ。
 鴉室がどこかへ連絡すると、襲撃者は仔牛のように運ばれていった。

「ったく……セキュリティどうなってんの、この病院。入院してから三回目だよ」
「それに関しては申し訳ないが、これでも十二分に結界が張られてて、ホントに危ねェのは除けてるんだぜ?」
「まあ確かに、小物しか来ないけども」

 死角からの奇襲、しかもほぼ丸腰の九龍に対して拳銃というアドバンテージがありながら、初手で仕留め損ねたような輩だ。粗悪な鉄砲玉。連行されはしたが、尋問したところでいい情報が得られるとも思えなかった。
 十二月二十五日の深夜、いや十二月二十六日の明け方に九龍が入院してから、襲撃を受けたのはこれで三度目。いずれも九龍狙いだった。
 九龍が天香學園で《秘宝》を入手し、依頼を達成して學園の外へ出てきた。そう勘違いし、宝を簒奪せんと企む人間がいずこにか存在する。人間ではなく、鬼かもしれないが。

「はぁー、やだやだ、これだから《秘宝の夜明け》は。早く天香に帰りてー」
「九龍はずいぶんとあいつらのことが嫌いなんだな。この前学校を荒らされたときもえらくキレてたし」
「当然だろ? こっちは《宝探し屋》、あっちは単なるテロリスト!」
「《ロゼッタ協会》の教えを忠実に飲み込んでるようだが……、まるっきり腹の白い組織なんて存在しないぜ? おたくもうちも含めてな」
「そんなの、わかってますー」

 イーッとしかめ面をしたところで、九龍は病室へ戻ることにした。
 鴉室も警備だと嘯き、清掃業者の制服のままついてくる。実際、本人は何も語らなかったが、彼がこの姿に身をやつしているのは、九龍を襲撃者から守るためだろうと思われた。
 入手した段ボール箱にぽいぽい私物を放り込んでいると、鴉室が神妙な顔で聞いてくる。

「なあ、その荷物の送り先、天香か?」
「いや、個人的な住所だよ。なんで?」
「あいつらがついてくると、な」

 あいつら、とは襲撃者たちのことだろう。九龍は手を止めた。

「……ついてくると思う?」
「まあなァ。つーか、その仕事してたら一生ついてくるだろ」

 《宝探し屋》は、ひとたび素性が知れれば、《秘宝》を狙う不届き者に追い回される可能性がある。だから、正体は隠さなくてはならない。
 ハンターの卵がまず初めに叩き込まれる常識だった。
 九龍が俯いたのを見て、鴉室はわざと大きな声で笑う。

「ウチの異端審問官に転職したいなら、いまからでも構わないぜ?」
「まさか。宗教観が違いすぎる。けど、そうか……次の遺跡へ行く前に、天香のみんなに挨拶したかったけど、危ないかな」
「挨拶ぐらいなら平気だろ。さすがにこの前みたいな規模での襲撃をホイホイ繰り返せるもんじゃないしな」
「そうだよね。……みんなともこれでお別れか」
「今生の別れじゃないだろ〜? 長い人生、生きてりゃまた道が交わることもあるさ」
「けどさぁ、さっきみたいな奴が来ることを考えると、みんなとはこれっきり会わないほうがいいのかなー、なーんて……」
「べつに、ゼロか百かで考えることもないだろ? つかず離れず、ほどよく会うくらいの付き合いもいいじゃねェの」
「なんか、大人の関係って感じだな。そっか……」

 九龍は段ボール箱を見下ろした。
 たった数日いただけなのに、入りきれないほどの物が詰まっている。

「……早く大人にならなきゃなあ」

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