葉佩九龍は戸惑っていた。
潜入先のセクシーな美女に「今夜、二人きりでお話しましょう」と誘われ、プールサイドへやってきた。
先刻まで透明な水の中をたゆたっていた肢体は、サマーベッドの上へ横たわっている。彼女が膝を立ててわずかに位置を変えるたび、高い位置にある照明が複雑な影を織り成した。
その体には、彼女という至宝を包むリボンのごとく赤い水着が巻きついている。
この見た目で、というのも失礼だが、しかしこの見た目で誘いをかけてきて、まさか本当に「お話」だけとは思わないではないか。
「それでね、うふふふッ、阿門様ったらこうおっしゃったのよ。『生徒会室の扉は開けておく』――つまり、何かあったらいつでも相談しにきなさい、って」
しかも、盛り上がっている。ここにはいない男の話で。
昼間、双樹と交わした会話を思い返す。反応は悪くないと思ったが、脈なしであったのか。この手のことを読み違えるのは実にローティーンのころ以来だった。
それでも、ただ引き下がるのでは芸がない。話が途切れた瞬間を見計らい、葉佩は攻勢に転じる。
「双樹。俺は、君の話を聞きたい」
隣のサマーベッドへ腰かけたまま、身を乗り出す。ついさっきまで双樹と水をぱちゃぱちゃして遊んでいたので、膝まで捲り上げた学生服が野暮ったいが、この際気にしないことにする。
双樹は笑みを浮かべた。ぽってりした唇が、魅惑的な弧を描く。
「あたしも、あなたの話を聞きたいわ」
「いや、俺のことより君の話を……」
「あなたはどこから来たの? そしてどこへ行くのかしら、《宝探し屋》さん」
葉佩の要求はさらりと聞き流された。あるいは、これも手管のうちなのかもしれない。
翻弄されつつも、彼女の問いに答える。
「どこから来たかは……わからん。物心ついたころには、師とともに世界を回っていた。あえて言うなら、海が故郷だ。船旅が多かったからな」
「まあ。詩的ね」
双樹がうっとりと目を細める。手ごたえはさっぱりだが、ラッキーパンチがヒットしたらしい。続いて、第二撃。
「行き先は決まっている。《秘宝》のあるところだ」
決まった。ところが、双樹の瞳によぎったのは、紛れもない不安だった。
「あなたも……《秘宝》を見つけたら、次のところへ行ってしまうの?」
「それが《宝探し屋》というものだ」
「そんな……」
双樹は縋るように葉佩の袖を掴む。少女めいた仕草がいじらしい。
思わず彼女の手を取っていた。
「だが、少なくとも《秘宝》を見つけるまでの間は、ここにいる。君のそばに」
「本当?」
「ああ。約束しよう」
「嬉しいわ」
双樹はふわりと笑う。幾重もの花弁が開いたかのように。
今ならいける。少々下賤だが、葉佩はそう確信した。彼女の肩を掴み、抱き寄せようとする。触れた肌はしっとりと水気を帯びて、手のひらに吸いつくようだった。
「双樹――」
「――あら、もうこんな時間。いい加減、帰らなくっちゃね」
女の体はするりと葉佩の手の中から抜け出し、プールサイドへ足を下ろした。見れば、館内の時計は真夜中を指している。
夜はまだこれからだ。やはりうまくかわされたのだろうか。
苦々しく顔を歪める葉佩に、双樹が振り返る。
「今日はありがとう。素敵な夜だったわ。ねえ、また会いにきてくれるわよね?」
女の奥に潜む、迷い子の眼差し。
葉佩はそれにつき動かされ、首を縦に振っていた。
「……ありがとう」
その瞬間、彼女が浮かべた笑みに、前途多難な恋が始まったとも気づかず。