前途多難な恋
大地のようだ。それが、率直な印象だった。
双樹の体をいともたやすく抱き止めた腕は太く、胸板は厚い。それでいて、無駄なく引き締まっている。
「大丈夫か?」
薄い色の瞳に覗き込まれ、双樹ははっと我に返った。
校舎の一階から二階へと繋がる、階段の踊り場だ。三階の教室へ向かっていた双樹は、ふざけながら降りてきた下級生とぶつかり、危うく足を踏み外しそうになったのだった。
普段なら、それくらいでよろめく双樹ではない。だが、さすがにまだ疲労が残っていた。今この肩を抱いている男と、昨晩殺し合ったから。
「……ええ、ありがとう。なんともなくってよ」
「あッ、あの、すいませんッ」
ぶつかった相手が双樹と見るや、下級生の男子二人は、蒼白になって謝った。
彼が受け止めてくれなければ、いかな《生徒会》の魔人とて怪我を負っていたかもしれない。お仕置きをしてやりたいところだが、双樹は「気をつけなさい」と告げるにとどめた。
処罰を免れた男子二人が、逃げるように去ってゆく。彼が双樹の肩を抱いたまま問いかけてきた。
「よかったのか?」
「十分、反省していたようだから」
「そうか」
言葉少なに返す間も、双樹を離さない。肩に触れた手のひらがじわりと熱かった。
葉佩九龍。この秋、三年C組にやってきたばかりの《転校生》。
彼について、双樹自身が直接知り得た情報は多くない。ほとんどはとある男からの又聞きだ。それを信用するならば、外見の印象と大きなずれはないようだった。
無骨で謹厳実直。能弁とはお世辞にもいえず、言葉より行動で示すタイプ。
その報告は、この数分間に彼が取った行動とも一致する。しかし、伝聞の《転校生》像にそぐわないものが一つだけあった。双樹の肩に回されたままの腕である。
双樹は、ちらと彼の横顔を見上げた。
日系人らしい顔立ちをしているが、堂々たる体躯と明るい瞳の色は異国の血を感じさせる。
記憶の中の誰かが重なりかけたとき、ふいに葉佩がこちらを向いた。
「体はもう大丈夫なのか」
「え? えェ。あなたが助けてくれたから」
「そうじゃない。昨夜……、だいぶ無理をさせたからな」
葉佩の手が、意図を込めて双樹の肩を軽く握る。その言葉を聞きつけた通りすがりの下級生は、顔を赤くして足早に立ち去った。
仕事一本槍の男かと思えば、どうやら、そうでもないらしい。
女の肌に慣れている。
「……そうね。壊れちゃうかと思ったわ」
双樹の囁きにも、葉佩は顔色一つ変えなかった。
踊り場で寄り添う二人に、授業の開始を告げるチャイムが降りそそぐ。
「チャイム……、鳴ったわよ?」
「そうだな」
双樹が指摘しても、葉佩は平然としている。やはり、見かけどおりの堅い男ではないようだ。
面白いではないか。この本性を隠し持っていながら、見た目はまるで――。
双樹は反射的に体を離した。葉佩は驚いたそぶりも見せず、ただ空色の瞳でこちらを見つめている。
その瞳の色を、双樹は今、誰と重ねたのか。
後ろめたさが襲ってくる。彼に興味を引かれる本能と、憧れを重んじる理性が双樹を引き裂いた。
いけないと思いながらも、軽くなった肩が寂しい。
気づけば誘いをかけていた。
「ねえ……よかったら、二人でもっとお話しない? あたし、あなたのことが知りたいわ」
「話?」
不用意に声を漏らさず、短く問い返してくる抜け目なさもまた興味深い。
「そう、二人きりで、もっと深い話ができるところ……。今夜、プールに来てくれるかしら? 鍵は開けておくわ」
彼が頷くのを見て口角を上げながら、双樹はかつてない胸の高鳴りを感じていた。
少女の初恋は背徳と隣り合わせだ。