若者たちがこぞってブリーフィングデスクをのぞき込んでいる。左戸井はそれを、一歩下がったところから眺めていた。
 アルバイトも増えたので、そろそろ小さなデスクではやりづらくなってきた。新顔の二人は左戸井の横でブリーフィングを見学している。興味深げな表情だった。
 庚種特務師団が《霊》に対してこのようなアプローチをすることはあるまい。彼らには戦闘力も装備もあるから、夕隙社と異なり事前準備にそこまで手間をかける必要がない。力でもって一掃すればいいだけの話だ。
 単純な比較でいえば、夕隙社は圧倒的に小さく弱い。しかし、それを補うだけのものを持っている。
「えっとぉ……、やっぱり全体的に狭いなぁ。気をつけないと身動き取れなくなるかも」
 龍介の指先が現場――《殺戮する血生臭い死刑囚の霊》が出現するという留置所の見取り図を追う。支我がその隣から駒を置いた。
「ああ。今回は、探索範囲の広い大型EMF探知機を設置したほうがいいだろう。いつものようにコスト優先で小型を複数使うと、罠を置くスペースがなくなる。編集長、構いませんか?」
「……いいわよ」
 千鶴が歯ぎしりしながら答える。頭の中でそろばんを弾いているに違いない。深舟が手際よく罠の駒を置いてゆく。
「水道管が部屋の隅にあるわね。うまく罠を設置すれば、追い詰めて一網打尽にできるかもしれないわ」
 慣れたもので、おおよその配置は数分もかからずに決まった。だが、少々気になる点がある。
 左戸井は口を挟もうとしたが、それより先に龍介が発言した。
「なぁ、今回は設置型の大型EMF探知機があるけど、念のために携帯用のも持ってかない?」
「そうね……警視庁の人がわざわざ持ち込んできた話だもの、いつ何が起こるかわからないわ。念には念を入れましょう」
 深舟が頷く。龍介が左戸井のほうを振り返った。
「左戸井さん、さっき何か言いかけてました?」
「いや」
 龍介と同じ指摘をしようと思っていたので、もう用は済んだ。ブリーフィングが終わり、除霊に参加するメンバーが支度を始める。
 さすがに玄人らしい手つきで戦闘準備を開始した音江と八汐の前へ、千鶴がぬうっと立ちはだかった。
「ところで、あなたたち」
「はい」
 八汐が機敏に応じる。音江はUSBにつけるチャームをくるくると指で回しながら、ちらりと視線だけを動かした。
「除霊以外に得意なことはあるかしら。たとえばパソコンでの作業とか」
「除霊以外ィ~?」
「報告書をパソコンで作成することはありますから、その程度の操作であれば可能ですが……」
 二人が困惑気味に答える。千鶴は殺気立った表情で続けた。
「うちに来た以上、アルバイトとして皆と同じ仕事はしてもらうわ。そのつもりでいてちょうだい」
「え~。机に向かうとかだりィなァ~」
 音江がぼやく。左戸井が千鶴のデスクに目をやると、種々の仕事がてんこ盛りになっていた。彼女が拘束されている間、他のメンバーで対応可能な分についてはなんとかしたつもりだが、社長以外ではどうにもならない業務もある。夕隙社はそもそもが自転車操業なので、基本的に余裕のある会社ではない。
 千鶴はかっと目を見開いた。その迫力に、若き自衛官たちがやや引く。
「うちは出版社よ。ありとあらゆる締め切りに日夜追われているの。それを乗り越えるためなら、立っている者はなんでも使うわ」
「は、はい。我々にできることであれば協力します」
 八汐が首肯した。真面目な性格なのだろう。
 若人が労働で流す汗は美しいものだ。左戸井が暖かく見守っていると、脇から龍介がちょいちょいと白衣を引っ張った。
「ねー、左戸井さんってなんかあの二人に優しくないですかぁ?」
「あ?」
「だって、もしあそこで編集長に絡まれてるのがおれだったら、乗っかって『働け働け~』とか言うでしょ」
 そんなギャルのような口調で喋ったことはないつもりだが。まあ、他の連中とは少し見え方が違うのは事実かもしれない。若い頃に同じ釜の飯を食った九門の部下であるし、音江の秘めた熱さも八汐の頑なさも、かつては左戸井自身が持っていたものだ。二人を見ていると、生々しいむず痒さと懐かしさに襲われる。
 龍介は何かを見透かそうとするかのように、じーっと視線を注いできた。
「だいたい、左戸井さんが自衛隊にいたのだって聞いてなかったし、おれ」
「またその話か。何遍言うんだよ。別に、昔の仕事なんざわざわざ言いふらしたりしないだろ」
「他人行儀ぃ~」
 のらりくらりと話をはぐらかしていると、千鶴がこちらに矛先を向けた。
「そういえば龍介、以前頼んでおいた請求書のファイリングは?」
「あっ……、えっ、えーとぉ、音江、萌市のおにぎり持ったぁ? いざという時には……」
「龍介ッ」
 左戸井は逃げようとする龍介の首根っこを掴み、千鶴の前に突き出した。
「ちょうどよかったじゃねェか、絡まれたかったんだろ」
「そんなこと言ってません~」
 龍介がじたばたもがく。除霊が板についてきたとはいえ、対ヒトではずぶの素人だ。体の使い方がてんでなっていない。
 千鶴に生贄を差し出し、左戸井はなんともいえない顔をしている音江と八汐に声をかける。
「お前たちはまだウィジャパッドを使った除霊には慣れないだろうが、いつもの調子で前に出過ぎないことだな。そこのナビ役に背中を預けると思え」
 深舟と話している支我を指差す。八汐が困ったように復唱した。
「背中を預ける……、ですか」
「お前たちがそういう教育を受けてきていないことは知ってる。だが、これもいい機会だ。アレから学ぶこともあるだろう」
「……アレからぁ~? マジっすか?」
 音江が疑わしそうに言う。「アレ」は千鶴の前で小さくなり、ごにょごにょと言い訳していた。
「違うんですよぉ~、編集長が心配で手につかなくってぇ~」
「へえ。私がファイリングを頼んだのはいつだったかしら? 私が拘束された後? テレパシーか何かで指示したってわけ?」
「ご、ごめんなさぁーい……」
「……ま、そのうちわかる」
 実体のない《霊》と闘う上で重要なのは、戦闘技術だけではない。信念、情熱、仲間との何気ないやりとり。そういったものに救われる日が必ず来る。
「お前たちなら、わかるだろうさ」
 音江と八汐をそれぞれ見つめる。新しい環境に戸惑いながらも、左戸井の言葉にはきちんと耳を傾けていた。この二人はきっと大きく成長する。いずれは東京を護る力となるだろう。
 千鶴の説教からようやく解放された龍介が、のろのろとこちらへやってきた。
「ふー。左戸井さん、なんか熱い話してませんでしたぁ?」
「気のせいだろ。それより早く支度しろよ、もう支我も深舟も下に降りたぞ」
「はぁーい」
「おい。EMF探知機、机の上に出しっぱなしじゃねェか。何しに行く気だ、ったく」
 黒い筐体をこつんと龍介の額に当てる。説教疲れでげっそりした顔が、ますますくちゃくちゃになった。
「うう。おれも優しくされたい」
「ほーう」
「あ、やっぱいいです。左戸井さんの優しさはなんか屈折してそうだから。おれはさゆりちゃんに優しくしてもらうんで」
「無理だろ」
「ひどい!」
 左戸井が龍介で遊んでいる間に、音江と八汐も準備を終えていた。独特の装備が気になったらしい龍介が目を止める。
「なぁなぁ、そういえば人間ソナー? って、どういう仕組みなの?」
「あー、説明してもお前にはわかんねェだろ」
 音江に軽くあしらわれ、龍介がむくれた。
「言ってみなきゃわかんないじゃん」
「その……外部の方に言葉で伝えるのは難しいんです。信用ならない男ではありますが、除霊だけはまともにやりますから、その点はご安心ください」
 八汐が辛辣なフォローを挟み、音江との間に火花が散ったように見えた。龍介が二人の真ん中で首をひねる。
「よくわかんないけど……二人とも強そうだから、頼りにしてるよ」
「ええ、お任せください」
「俺に頼れよ、俺に」
「おい、いい加減出発するぞ。三人とも車に乗れ」
 ワヤワヤ揉め始める子どもたちを編集部から押し出す。千鶴にアイコンタクトをして、いつもどおりの短い挨拶を済ませた。
 と、それが見えたわけでもないだろうに、左戸井の前にいた龍介が振り返る。つられて音江と八汐も。
「編集長、いってきます」
「――いってらっしゃい。気をつけてね」
 数日ぶりに帰ってきたボスが、暖かく笑った。

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