ハングオーバー

 支我は二十歳になった。一緒に飲めるのが嬉しいらしく、千鶴や左戸井は何かにつけて酒の席へ誘ってくる。昨日も、深夜まで焼肉とビールに付き合った。
 今日は龍介と二人で出かける予定だ。しかし、待ち合わせ時刻を十五分ほど過ぎたところで、支我は事情を察して近くのカフェに入った。昨夜、彼は『焼肉 十八』の座敷で早々に寝落ちしていた。きっと今朝もまだアルコールが残っているに違いない。
 少し奥まったところにあるカフェは、意外にもホットミルクが看板メニューだった。Lサイズを注文し、隅の席で読みさしの文庫本を開く。寝不足の目は明朝体の上を滑るばかりだ。
 支我の真後ろでは同年代の女性が二人、話に花を咲かせていた。聞くつもりがなくても耳に入ってくる。
「そっかー。彼氏、お酒弱いんだ。飲み過ぎてデートに遅刻っていうのはちょっとね」
 どこかで聞いたような話だ。つい笑いそうになり、支我は文庫本で口元を隠した。目の前の大きな窓からは駅前が見渡せるが、未だ龍介の姿はなく、スマートフォンも沈黙を貫いている。
「まあ、それくらいは許してあげようかなって。いつもいろいろやってくれるし」
 女性の声が笑う。愚痴かと思いきや、惚気話だったようだ。話は、理想の男性像というテーマに移行していった。
「どんなタイプが好きなの?」
「うーんと、そうだなぁ。人懐っこい人が好きかも。笑顔が素敵な」
「あー、笑顔って大事だよね」
 支我の脳裏に、二年前から付き合っている相手の顔が浮かんだ。
 彼もよく笑う。時々拗ねたり、怒ったり、落ち込んだり、悲しんだりもするが。
 バイト中にたまたま目が合うと、嬉しそうに笑ってくれる。その時の支我の心情を思い起こせば、確かに彼女たちの主張するとおり、笑顔はとても重要だということがわかる。
 支我はホットミルクを一口飲んだ。まだ熱くて、たくさんの量は口に含めない。
「年上? 年下?」
「どっちでもいいけど、自分が甘えるよりは……」
「甘えられたい? 意外~」
 彼は、俗に言う甘え上手というやつなのかもしれない。あの深舟にすら果敢に挑んでゆく。結果はまちまちだが、決して諦めないから大したものだ。
 支我も、彼に頼られるのは嫌いではなかった。あちらは甘えっぱなしになりたくないようで、気を使ってお返しをしてくれるが、こちらとしては別に構わないと思っている。
 文庫本のページを一枚めくり、前の章へ戻った。どうも内容が頭に入らない。またホットミルクを飲む。
「他には? 他には?」
「さっきから私ばっかり喋ってるじゃん、そっちはどうなの」
「えー、そうだなぁ。今の彼氏はちょっと違うけど……実はスキンシップ多めな人が好きだったりして……」
「そうなんだー!」
 二人が盛り上がり、声が高くなる。支我はちらりと背後に目をやったが、すぐに文庫本へと視線を戻した。
 あまり、外で思い出すべきことではない。
 と、その時、スマートフォンの画面にメッセージの通知が浮かんだ。遅刻の謝罪に加え、おおよその到着予定時刻が記載されている。急がなくていいから気をつけて来るようにと返信した。また文庫本へ戻る。
「連絡はこまめにしてくれるほうがいいなぁ。飲み過ぎて遅刻しちゃうのはともかく、フォローもないのは最悪」
「あれ、なんか実話っぽい」
「誕生日になった瞬間にお祝いしてくれるとか、都市伝説? って感じよ」
「あらー」
 彼はそれこそ、日付が変わるのと同時に連絡をくれる。支我本人が自分の誕生日だと気づくよりも早い。嬉しいけれど、体が心配なので早く寝てほしいという気持ちもある。
 そういえば、昨夜はあの後大丈夫だっただろうか。支我がアパートまで送っていった時は、眠そうなだけで異常は見受けられなかったが。
「よく気づく男の人っていいよね~。どこで出会えるんだろう……」
「ね……」
 かといって、世話を焼かれるばかりでもない。支我が疲労を感じた時は、こちらが何も言わなくてもさりげなく声をかけてくれる。他のメンバーに対してもそうだ。日ごろから他人の様子を気にかけているのだろう。先陣を切って主導権を握るタイプではないけれど、彼が現在の夕隙社の精神的な支柱であることは間違いなかった。
 待ちぼうけを食らっているせいもあって、早く彼の顔を見たいという気持ちが高まってきた。まだだろうか。
 窓の外を眺めると、まるで支我の願いが聞き入れられたかのように、待ち人が小走りでやってきた。こちらに気づいて手を振り、急いで入店してレジカウンターへ向かう。
 支我は文庫本にしおりを挟んだ。結局、数ページも進まなかった。
「どこかその辺にいないかなー、そういう人」
「いたとしても、もう相手がいそうだけどね」
 女性目線で考えたことはなかったけれど、もしかして彼は異性に人気があるタイプなのだろうか。確かに女友達は多い。
 いろいろあって、彼は支我を選んでくれた。とても幸いなことだ。大事にしたいと思う。
 トレイにカフェラテのカップを乗せて、彼が急ぎ足で支我の元へ向かってくる。
「ごめーん、お待たせ~」
「おはよう。早かったな、もう少しかかるかと思ったが」
「早く会いたかったから急いで来た」
 トレイを置きながら、彼がにこっと笑う。
「昨日会ったばかりだろ?」
「お前な~。みんなの中で会うのと、二人で会うのとじゃ全然違うだろ」
 いい加減わかれよ、と小指の先をつまんで力を込められた。痛みはなく、じゃれつかれている感覚だけがある。支我は笑って謝った。
 彼が傍らに腰を下ろす。その拍子に、支我のカップの中身へ目を留めた。
「あれ? それってホットミルク? 珍しいな」
「ああ、たまにはいいかと思ってな」
 人懐こくてよく笑うし、甘えるほうだし、スキンシップは多いし、連絡はまめだし、細かいことにもよく気づく。
 むろんそれだけが美点ではないが、支我はそういう彼を好きになった。
「もしかして正宗も二日酔い? 集中できなくて、しょうもないことばっか考えちゃう~って顔してるけど」
「……さすがだな。龍ちゃん」
 おまけに、勘も鋭い。

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