【愛】ってなんですか?

 深舟と支我が優しい。
 いつも優しいが、今夜はそれに輪をかけて。
「龍介、ちゃんとお肉食べてる?」
「うん、食べてる」
「龍ちゃん、飲み物を頼もうか」
「いや、大丈夫」
 両脇からあれこれ世話を焼かれ、龍介は孫を持ったような気分になった。『焼肉 十八』を出るときもボディガードのごとく貼りつかれ、万が一にも転ばせないという強い意志を感じた。
「二人とも、帰ってきてからずっと変よ。どうかしたの?」
 千鶴に聞かれたが、二人は声を揃えて「いえ、別に」と答えるだけだった。
 他のアルバイトたちは皆、帰宅手段として電車や車が必要になるが、暮綯學園組の自宅は徒歩圏内だ。焼肉の後はいつも三人で歩いて帰る。
 店から一番近いのが深舟の家で、次が支我、最後が龍介。腹がくちくなると、自然と気持ちもほぐれる。ぽつぽつと会話を重ねながら、夜の街を行くのが常だった。
 今晩はいつになく静寂が続く。龍介は、こんな夜も悪くないと感じた。場を保たせなければと焦って、戯言を弄するよりよほどよい。
 ところが深舟は、どう話を切り出すか悩んでいたらしい。
「……ね、ねえ。龍介」
「ん?」
「その、さっきからずっと口を触ってるけど、気になるの?」
 深舟に言われ、龍介は初めて、自分が指先で唇に触れていたことに気づいた。
「もしかして、やっぱりショックだったとか……」
「あ、いや、そんなことないよ」
「……もし本当に嫌だったのなら、無理する必要はないからな」
 支我もいやに重々しいトーンで口を挟む。
 なぜか二人とも頑なに主語を出さないが、話題は数時間前に起きた出来事だ。ツインエンジェル・華山兄弟に力を貸してもらうのと引き換えに、彼らの求める愛情を――つまり、龍介の唇を差し出したのだった。
 まさか深舟にその役をさせるわけにはいかないし、支我も顔がこわばっていたので、龍介が名乗り出た。一夜をともにするならともかく、唇をくっつけるだけだ。まあ、所要時間は予想より遥かに長かったが。
 華山兄弟の瞳の輝きから、彼らはただ愛情表現としてのキスが欲しかっただけで、こちらをどうこうしようという意図のないことはよくわかった。そのせいだろうか。
「なんか、思ったよりは嫌じゃなかったんだよねぇ」
 二人の返事はない。耳を傾けてくれているのだと判断して、龍介は続ける。
「まあ、自発的にしたいってほどではないけどさ。そんな悪いもんでもなかった」
「……そ、……そう」
「それなら、……いいんだが」
「普通はもっと嫌なのかな? どうなんだろ。気づいてないだけで、おれってゲイかバイだったのかなぁ」
 異性の目から見ればまた違うかと思い、龍介は深舟に話を振った。
「そこまでは知らないわよ……。まあ、ショックだったり、傷ついたりしてないんだったらいいわ」
 こちらの心情を思いやってくれていたらしい。龍介は深舟の配慮に感動した。確かに立場が逆なら、彼女が強がっていないか、心配で仕方なくなるだろう。除霊のためにやむを得ない状況であったからこそだ。
「おれのこと考えてくれてたんだぁ。ありがと」
「な」
 深舟は口をぱくぱくさせて言葉を探すが、結局何も出てこなかった。自宅へ続く曲がり角で仁王立ちし、腹から声を出す。
「私の家、こっちだから! また明日ね、支我くんッ」
「ああ、また明日。気をつけてな」
「え、正宗だけ? おれは~? ばいばーい」
「……バイバイ」
 存在に気づいてもらえるよう、背伸びして両手を大きく振ると、深舟は小声で挨拶を返した。たっ、たっ、たっ、と陸上部らしい足音が遠ざかる。
 あと少しで支我ともお別れだ。その前に聞いておこうと思い、龍介は改めて質問した。
「正宗はどう思う?」
「どう、というと」
「さっきの」
「――俺たちはまだ十代だし、人生経験も豊かとはいいがたい。自分自身も気づいていなかった、または誤解していた性的指向について、何かのきっかけで意識するようになる可能性は否定できない」
「やっぱり?」
「だが、真実を知っているのはお前だけだ。他人が答えることはできない」
「うーん。もっと経験積めばわかるかなぁ……、ん?」
 龍介はがっかりしたが、ふと支我の顔に目を留めた。
 わりといい面立ちをしている。
 当然、唇も。
「なぁ正宗、試しにちょっと経験」
「悪いが、他を当たってくれ」
 全文を口に出す前にきっぱりと振られ、龍介はそれ以上食い下がれなくなった。諭すように支我が言う。
「『試しに』ですべき行為だとは、俺は思わない」
「ま、そっか」
「率直に言えば、大事な友達が『試しに』誰かとするのも、いい気分とはいえないな」
「はぁーい。もうやんないよ」
 さらっと口にされた「大事な友達」に気をよくし、龍介は肩をすくめた。
 横断歩道の信号が点滅し始め、足を止める。あまり急ぎすぎると支我が渡りきれない。
「――つーかさぁ、友達にハグするのはまあ、相手がOKしてるならいいじゃん。けど、キスってなると急にハードル上がる気がする。この差って何? 友情か愛情かの違いかなぁ。でも、恋人にもハグはするし、国によっては挨拶でもキスするよな。そもそも、友達にまったく愛がないかっていったら、そんなことないし。だから竹ちゃんと梅ちゃんにもしたわけだし」
「龍ちゃん」
「じゃあ、どこまでが友情でどこからが愛情? 性欲の有無? そしたらよく聞くプラトニックな愛ってなんだろ。恋愛したらわかんのかなぁ」
「そのまま行くと、あと五秒で電信柱に衝突するぞ」
「おわぁ」
 龍介はつんのめるようにして足を止めた。風雨に洗われた灰色の電柱が、眼前に迫っている。
「あっぶね。ありがと」
「どういたしまして」
 支我がさらりと答える。深舟は礼を言われると挙動不審になることが多いが、その点、彼はスマートだ。いわゆる、如才ない男。
「正宗ってさぁ~」
 ――彼女いる? もしくは、いたことある?
「なんだ?」
「……やめとく」
「気になるじゃないか。続けてくれよ」
「なんか負けた気がしそうだからいい。男として」
 支我は続きを聞きたそうにしていたが、ちょうど分かれ道に差しかかった。
「じゃ、気をつけてな~」
「ああ、お前も。それじゃあ、また学校で」
 車椅子に乗った背中が遠ざかる。後ろ姿は凛然としていた。
 龍介はぷらぷらと、遊ぶように帰り道を歩く。賑やかだった反動で、やけに寒々しく感じる家路だ。
 いい加減に人生最後となるであろう転校以来、友人には恵まれていると思う。支我はその筆頭だ。誰に対しても自信を持っておすすめできる。優しいし、努力家だし、賢すぎてときどき妙な点にこだわり出すのは玉に瑕だが、いつも他人を気遣えるいい男である。
 ――で、結局、彼女はいるのだろうか?