月曜二限、日本史のあと。
 その時間だけは、冬の廊下の温度が変わる。

 十二月に入り、學園のイチョウの樹はすっかり葉を落としてしまった。生徒たちに踏まれて潰れ、独特なにおいも褪せたぎんなんと一緒に、黄色い落葉が掃き寄せられている。
 女子生徒にとっては、ハイソックスからタイツに履き替える頃合いだ。七瀬月魅も、例年なら靴下を引き出しの奥へしまう時期だった。
 でも、今年はまだがんばっている。
 友人たちは次々にタイツを履き、暖房の効いた教室へ引きこもり、お揃いで買ったチェックのブランケットを手放さなくなっていった。七瀬は、そのレースの最終走者だ。さすがに授業中は膝かけを使うが、離席するときはきちんと畳んで椅子に置く。
 特に、月曜日はそうだ。
 気候が堪えないわけではない。だが、我慢できるレベルだし、月曜はわけあって暑いほどだから、いいのだ。
 日本史の授業が終わると、十分間の休憩を挟み、次は古典の講釈が始まる。教室前の廊下には、友人と話す生徒が佇立する。
 その声を聞くともなしに聞きながら、七瀬はひとり廊下へ出た。ロッカーにある古語辞典を取りに行く、ということになっている。
 ロッカーの整頓を装って廊下へ残ると、いつもだいたい、教科書を並べ替えたあたりで名を呼ばれる。
「月魅ちゃん」
 振り返ると、同級生の葉佩九龍がやってくるところだった。C組は月曜三限が体育らしく、この時間は必ずA組の前を通る。
 そんなことは知っていたが、偶然出会ったかのような顔をして、七瀬はお辞儀をした。
「こんにちは。今日は、皆守さんは一緒じゃないんですね」
「外で走るのがタルいから、四限から来るってさ。あ、うちのクラス、三限は体育なんだ」
「そうでしたか」
「ここんとこ引っ張り出すの成功してたんだけど、寒くなったら勝率落ちてきちゃったよ。女子に比べたら全然だと思うんだけどな」
 九龍の視線が一瞬むき出しの脚へ移り、七瀬の顔は燃えるように熱くなった。十五センチも足を開いて立っていたことに気づき、じわじわと踵を合わせる。
「ああいうのならあったかそうだけど」
 教室へ戻っていった女子生徒を指して、九龍が言う。彼女は腰から下をブランケットで簀巻きにしていた。ああすれば、防寒にはなる。
 教室の中のクラスメイトは爆笑していた。――その格好、やばい。女捨ててる。
 捨てられない。
 七瀬には、まだ。
「あ、そうだ」
 九龍がふいに身をかがめ、ほかの誰にも聞こえないように耳打ちしてきたので、顔の熱が首までこぼれた。
「今夜、またお願いできる? 時間はあとでメールするから」
「……わかりました」
「ありがと」
 吐息が耳朶をくすぐる距離でその音を聴けたから、きっと今日はいい日になる。
「じゃ、またあとでな」
「ええ……体育、がんばってください」
「ありがとう!」
 今度は周りにも聞こえる声で、九龍が笑って去ってゆく。
 古語辞典を抱いた七瀬は、友達が集まる自分の席へ戻った。
「おかえり。やっぱり廊下、寒いよね? 行きたくな〜い」
「あたしもアレやろうかなァ、プールのあとの小学生みたいな」
 話に合わせて微笑みながら、七瀬はぱたぱたとセーラー服の襟もとをあおいだ。日なたぼっこのあとのように、肌がぽっと火照っている。
 冬の廊下は寒くない。
 どんな本にも載っていないが、七瀬だけは知っている。

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