たたかうアンダードッグ
ぜえぜえと、哀れな老犬じみた彼の呼吸が収まるのを待って、皆守は心の底から言った。
「馬鹿か、お前はッ」
弾を撃ち尽くしてただの鉄塊と化した銃に縋り、汗と血を流していた九龍が、ようやく顔を上げる。
ふだんは苦もなく身につけているアサルトベストが、重たげに垂れ下がっていた。リカと協力して前を開けてやる。人の顔をかたどった巨大な柱は心底気味が悪かったが、吹き抜けのようにいくつかのフロアをぶち抜いているため、見晴らしはいい。妙な仕掛けや化け物の気配もないから、短時間なら装備を解いても問題あるまい。
ごめん、と掠れ声で言って、九龍が目に入りかけた血を拭う。
不可解なほど現代的なこのエリアに足を踏み入れるのは、今日が初めてだった。
しばらくして、九龍はいつもの軽口を叩かなくなった。敵が手強いのだ。
自分とバディに怪我がないよう、安全な位置から弱点を狙撃し、深追いはけしてしない。九龍のその戦法は、ここではまるで通用しなかった。狭い部屋や通路が多く、距離を取ることすらままならない。それでも手持ちの武器を駆使して突破してきたが、先ほど入った部屋で化人の群れに囲まれ、いよいよ逃げ道さえも絶たれた。業を煮やしたリカが得意の爆弾を独断で放り込まなければ、いまごろ命はなかっただろう。
遺跡に潜入するにあたって、九龍が皆に約束させたことがある。指示のない行動は絶対に取らないこと。ただし、自分の身を守るための行為は例外であること。もしものときは、九龍よりも自らの命を優先させること。
したがって、人ならざる《力》持つ執行委員であっても、基本的には九龍の指示がなければ動けない。先ほどもリカは辛抱強く待っていたが、あわやというところになって我慢できなくなったらしい。
結果として、それは正解だった。しかも爆弾はよく効いて、九龍があれほどてこずっていた化人どもは、たちどころに四散した。最初から銃や鞭での殲滅を諦めてリカに頼っていれば、血を流すことなどなかっただろう。
判断ミス、指示ミス。簡単にいえばそんなもので、九龍はあっさりと死にかけた。
「ごめん……」
もう一度謝って、九龍はうなだれた。つるんとした床の上に、血の混じった汗がぱたぱたと滴り落ちる。さっさとあの魂の井戸とやらに向かいたいところだが、いまの九龍には梯子を上り下りする力すらなさそうだ。なけなしの救急セットが効果を発揮するまでもう少しかかるだろう。
リカが繊細なフリルのついたハンカチを差し出したが、九龍はわずかに首を横に振った。そんな動きでさえ、バランスを崩しそうになる。
「汚れちゃうから」
「まァ」
こんなときでさえおっとりと、リカは花びらのような手を口もとに当てた。血まみれの男に引くような性根の持ち主ではない。
「汚してはいけないというのなら、このハンカチでは純水しか拭けませんわね」
「でも、そんなキレイなの、んぷっ」
「いいから借りとけ。目に入るぞ」
「乱暴はよしてくださいませ」
自分の手ごとハンカチを九龍の顔に押しつけられたリカは、いたくご立腹だ。皆守が手を離すと、リカは九龍の額にできた傷の周りを拭い、優しく押さえた。白い指に血の赤が擦れる。
「判断が遅くて、二人を危険に晒した。ごめん」
「いいえ〜。懐かしかったですゥ」
リカの返事に、九龍がますます肩を落とす。確かに、この遺跡に潜り始めたころは、ときどきこういうことがあった。リカのような初期からのバディは知っている。
自己紹介を信じるなら、九龍は新米《宝探し屋》。バディの能力を臨機応変に活用するのはまだ難しいのだろう。指示を出しすぎてバディが探索序盤で力を使い果たしたこともあれば、温存しすぎて使わずじまいということもあった。パーティのリーダーとしてのスキルは発展途上だ。
最近はめっきり減ってきていたが、難敵を前に久々の失態であった。
「……いままでの闘い方じゃ駄目だ、歯が立たない。戦略を練らないと……。グレネードランチャー……さっきみたいに囲まれたら手数が足りない。爆破はよく効いてたな、爆薬か。正直得意じゃないけど、そんなことは言ってられない……」
半ば独り言のように九龍が呟く。いよいよ朦朧としてきたのかと思いきや、大真面目に反省しているらしい。
皆守とリカは顔を見合わせた。
リカがスカートをつまんでちょこんとしゃがむ。九龍の顔を下から覗き込んだ。
「そんなの、リカがいくらでも教えてあげますわ」
「でも……」
「九サマったら。リカに『死』の痛みを思い出させてくれたのは、九サマでしょう? リカ、九サマが『死』なないためだったら、できる限りのことはいたしますわ。みィんな、同じ気持ちですわよねェ?」
話を振られて、皆守も無言で頷く。
死。
体はその痛みを忘れられないらしく、叫び出したくなるほどに胸の奥が軋む。いや、心か。皆守が無表情の陰で傷口を押さえたのと同時に、九龍までもが泣きそうな顔をした。
「ありがとう……俺、二人に何かあったらって思ったら、余計……絶対に冷静でいなきゃいけなかったのに……」
「よしよし、ですゥ」
リカが九龍の頭を撫でてやる。皆守は目もとを和ませて、アロマパイプをくわえた。
「ふん。ま、気が向いたら俺も協力してやるよ」
「甲ちゃん」
九龍が感極まって飛び込んでくる。怪我人を払いのけるわけにもいかないので、仕方なく受け止めてやった。ぽんぽんと頭を撫でる。
「ありがとう……みんながいてくれてよかった」
「少しは元気が出たみたいだな。あの部屋まで行けそうか? さすがに、男一人背負って垂直の梯子を上り下りするのは御免だぜ」
「もう大丈夫。魂の井戸で一休みしたら、一度戻って出直すよ。リカちゃん、ご指導よろしくな」
「はい、ですゥ」
方針が見えたからか、九龍の足取りは力強かった。
武器を使い分け、味方の力をうまく借り、尽くせる限りの手を尽くす。すべてをひっくるめて戦闘技術だ。身につければ身につけるほど、九龍は強くなる。
はたから見ている限りでは、彼の成長は著しかった。初めは素人目にもわかるド新人で、こりゃあ長くは保たないな、と感じたのに。このウキウキ墓荒らしの元締めは、九龍の潜在能力に賭けた上で、その賭けに勝ったということだろう。
いや、まだ勝ったとは断言できない。この先に待ち構える双樹は、今までの執行委員よりも一枚上手だ。
けれど九龍が勝つだろう。皆守はそう踏んでいる。期待しているというべきか。
何度倒れてもキャンキャン吠えながら立ち上がる、失敗だらけの負け犬が相手だ。この犬は馬鹿だが賢いので、一つ失敗したら二つ以上のことを新しく学んでいる。その速度は《生徒会》役員の預かり知らぬところだろう。
九龍とリカが先に立って歩き、さっそく爆薬教室の相談を始める。
「とにかく鍛え直さないと、双樹のところまでたどり着いたって、返り討ちにあっちゃうかもしれないもんな」
「あら、大丈夫ですわよォ」
リカがころころと笑い、物騒な台詞を口にする。
「そのときは、リカが咲重お姉さまに、とっておきのプレゼントを差し上げますもの」
慣れた闘い方をあっさり変える柔軟さと、皆守を含む……現在のところは、だが……仲間の厄介さ。
双樹はどう凌ぐのか。
高みの見物を決め込んで、皆守はただいつものようにアロマをふかした。