弱点どこだ
「みぎゃ〜」
「……九ちゃん。春はまだ先だぞ」
「なんだよ、生あったかい目で見んなよー。驚かせようと思ったのに」
俊敏なんだかダルダルなんだかわからない、秋にできたばかりのこの親友。
八千穂と二人で真相を検証したものの、結局煙に撒かれた。葉佩に理解できたのは、よっぽど予想外の奇襲なら皆守の不意をつけるらしいという、考えてみれば当然のことだけだ。
ならばついてみよう、不意を。そう決意したものの、これがなかなか容易ではない。いまだって、中庭の植え込みの中からぬぼーっと現れた九龍を、皆守は哀れむように一瞥しただけだ。
頭を振って髪に絡まった小枝を落としながら、九龍は地団駄を踏んだ。
「もう、どうしたらびっくりするんだよ」
「お前にはいつも驚かされてるさ。ある意味な」
「ある意味じゃなくて、正攻法でびっくりさせたいんだけどなぁ」
がしがしと髪を掻き、細かい枯れ葉のくずを払い落とす。皆守は口の端を上げた。
「まあ、せいぜいがんばってくれ」
「うわっ、余裕。見てろよ」
「何を燃えてるんだかな」
皆守はまっすぐ男子寮へ帰るというので、同行することにした。少しは部活に顔を出したらどうだと言っただろ、と皆守がまんざらでもなさそうに叱る。
「あっ、なぁなぁ、マミーズ寄ってかない? リニューアルされたチョコバナナサンデーがおいしいって、《デ部》の公式サイトに載ってたんだ」
「……だるい」
栄養摂取以外の食事にあまり興味を示さない皆守は、くぁ、とあくびをした。彼は娯楽としての食をあまり知らない気がする。もしくは、そういった要素はすべてカレーへと集中しているのか。
しかし、九龍のほうは健康な十代男子であるだけではなく、肉体労働を伴う仕事に就いてもいる。旺盛な食欲とは切っても切れない関係にあった。
それに、いつ砂塵の下敷きになって遺跡の調度の一部と化すかわからない生活を送っているのだ。現代の享楽の恩恵にあずかれるときはそうしておきたい。
さらにいえば食はその土地の文化を反映するものでもあるし、職業柄興味を惹かれることが多かった。
ところが、それらを表現するような語彙を持ち合わせてはいないので、
「なぁ、お願い、腹減ったー」
という一言になる。
皆守もそれを無下に断るほど冷たい人間ではないから、一緒に来てくれることになった。
九龍は内心、ニヤリと笑う。
空腹なのも、チョコバナナサンデーが食べたいのも、嘘ではない。だが何よりマミーズののぼりを見た瞬間、この灰色の脳細胞は、皆守を驚かせるための次なる作戦を導き出していた。
「いらっしゃいませェ、マミーズへようこそォ〜。あッ、こんにちは! 何名様ですか?」
「み」
「もちろん、二人!」
見りゃわかんだろ、と答えそうになった皆守を遮り、九龍は奈々子にVサインをした。奈々子は営業スマイルではない笑顔を浮かべて案内してくれる。
さあ、ここからだ。
向かい合わせのソファ席。皆守が先に座る。いつもなら、九龍はその向かいに座るところ。
「へへへッ、何にする? 甲ちゃん」
二人用のソファの中央に座っていた皆守を半ば押しのけるようにして、強引に隣へ座る。さらにテーブル上のメニューを取って、カップルよろしく二人の前に広げてみたりした。
二人の距離、零センチメートル。
だが、皆守はごく平然とメニューに目を落とした。
「そうだな……」
「えっ、ちょっとちょっと」
九龍は思わず、置いたばかりのメニューを取り上げた。皆守が「何すんだ」という顔をする。メニュー表を見なくても暗記しているだろうに。カレーのページしか開かないのだから。
「驚かないの?」
「何の話だ」
「俺、いっつも向こうに座ってるじゃん。それがいきなりこんな接近してきたら変だろ、すどりんじゃあるまいし」
「そうか? いつもくっついてくるから感覚が麻痺したかもな」
あっさりと言われ、頭を抱えたくなる。己の行いが作戦に影響を及ぼすとは。
皆守は悔やむ九龍の肩を組んで引き寄せると、メニューを開き直した。
「それより、見ろよこれ。カレーのトッピングが増えてる。お前はどれにするんだ?」
「カレー食うの前提かよ。うーん、チキンソテーかな。甲ちゃんは?」
「チーズ」
「うわっ、それも迷った。ちょっと交換しない?」
「ああ、いいぜ」
「決まりな。すいませーん、カレーライス二つ、それぞれチーズとチキンソテートッピングで、あとチョコバナナサンデー二つ」
「俺はいらないぞ」
「誰が甲ちゃんにやるっつったよ。俺が食べるんだよ、二つとも」
「……夜中に運動するなら、付き合ってやらなくもないぞ」
そんな会話を交わしながら、いつもとは違う位置で早い夕食を平らげる。はじめはお互いに顔を見て話そうとしていたが、いちいち首をひねるのが面倒でやめた。
脚を投げ出してもぶつからないし、この角度はこの角度で利点もある。けれど、蘊蓄を語る皆守の顔を眺められないのがつまらないので、次はまた正面に座ろうと葉佩は思った。
食べ終えてマミーズを出るころには、とっぷりと日が暮れて冷え込んでいた。皆守がポケットに両手を突っ込む。九龍は「寒い」とその背中に額をくっつけた。こういった言動が先ほどの作戦を失敗に終わらせたのだろう。
「結局、びっくりさせられなかったなー」
「お前もしつこいな。その執着心は職業病か?」
皆守が呆れ顔で言う。
「そりゃそうだよ。狙った《宝》は絶対、絶対、絶対手に入れたい!」
「《宝》? 俺を驚かせることがか?」
皆守の顔に「変なやつ」と書いてある。九龍は膨れて、彼の背中にぐりぐりと額を押しつけた。こそばゆい、と離れられる。
「この世の一番の《秘宝》つったら、人の心だろー」
「心、ねェ」
皆守は表情を変えずに、男子寮へ入ろうとする。
九龍は足を止め、堂々と公言した。
べつにためらう必要はない。九龍にとっての真実を改めて口にするだけに過ぎないのだから。
「わかる? 甲ちゃんは俺の宝物ってことだよ」
「はァ?」
少し先から振り返っていた皆守が、そのままの姿勢で固まる。少し前に雛川から教わった、「鳩が豆鉄砲を食ったような」顔。
九龍も固まった。あっという間に、顔が勝手に笑い出す。
嬉しい。たまらない喜びが体を満たす。この瞬間があるから、《宝探し屋》はやめられない。悠久の時を眠る土塊の一部と化すかもしれなくても、知ったが最後二度と手放せない愉悦。これがあるから生きている。
「びっくりしてる!」
「なッ……」
皆守が睨みつけてくるが、痛くも痒くもない。九龍は踊り出さんばかりの勢いだった。
「やった、甲ちゃんを驚かせたッ」
「……」
皆守が凄まじい渋面を作る。構うものか、どうせ照れ隠しだ。
「ああ、やったぁ、俺もう今日はおかずいらないや、ご飯だけ何杯でも食べられる」
「あれだけ食っといてまだ食うのかよッ」
両手で頰を挟んでグリグリされる。幸福な笑い声が押し潰されて、モゴモゴと冬の空に溶けていく。
結局、昼間かいま見た皆守の身体機能の真相はわからなかった。この學園における《謎》と《秘密》にはたいてい理由がある。そしてきっと、いい理由なら彼はすでに話してくれているはずだ。そうでないということは。言葉にしないまでも、予感は雄弁に忍び寄る。
けれどもう少し、せめて男子寮に入るまでは、この幸せに身を浸していよう。