大きな話

 予定より遅くなってしまった。皆守はドアが開ききらぬうちにエレベーターを降りて、足早に九龍との待ち合わせ場所へ向かった。
 《ロゼッタ協会》日本支部の地下には、広大な研究施設が存在している。その一角に、関係者なら誰でも使える休憩スペースがあった。みな、日の差さぬ地階までわざわざ降りてはこないから、いつもゆったり使える穴場だった。
 なんの目印もない角をいくつか曲がり、ソファと自動販売機の据えつけられたエリアへ向かう。コバルトブルーの座席越しに、見慣れた黒い後頭部が見えた。両腕を背もたれの上に悠然と広げ、尊大な感じのする座り方だ。
「……だから、来年はまあなんとか。その次はわからんけど」
 男の声がする。休憩スペースにいるのは九龍だけではないようだ。英語だが日本人風のアクセントだったので、皆守にもほぼ正確に意味を取ることができた。
「ふーん。よかったな」
「九龍は? 来年も変わらず?」
「ああ」
 九龍の頭が動き、プラスチックのカップに入ったコーヒーを一口飲む。
 彼が英語で話す時は、日本語の時よりもやや横柄な口調になる。最近知ったことだった。
 皆守は声をかけようとしたが、自分の名前が聞こえてきて足を止めた。
「あのさ、お前のバディ、皆守くん。現場で一緒になったのは今回が初めてだったんだけどさ」
「そうだっけ?」
「そうだよ。お前さァ、どこでああいう隠し球を拾ってくるわけ? すごい身体能力じゃん彼、ちゃんと鍛えたらヤバいよ」
 話を聞いているうちに、皆守も声の主が誰なのか理解できてきた。今回の依頼で協力体制を取った《宝探し屋》だろう。日系三世で、九龍とは長い付き合いらしかった。日本語を多少なりとも解せるハンターは希少なので、日本での仕事は毎度似たり寄ったりの顔ぶれになるらしい。
 《宝探し屋》の言葉を受けて、九龍が笑う。皆守の前ではあまり見せない、ふてぶてしい笑い方だった。
「知ってるよ。俺も羨ましいと思ってる」
「へえ、お前が?」
「体力はトレーニングで鍛えられるけど、運動神経はなかなかな。あれだけ直感的に体が使えたら楽しいだろうな、とは思うよ」
 そう思っていたとは知らなかった。声をかけるタイミングを逃した皆守は、廊下の壁に寄りかかり、意外な思いで九龍の賞賛を噛み締めた。
 今や、隣に在るのは互いにとって当たり前。相手をどう評価しているのかなんて、いちいち言葉にすることはない。わざわざ伝えるのは照れくさい、というのも大いにあるが。
 皆守が聞いているとは知らないせいか、九龍はてらいもなく「あいつはすごいよ」と繰り返す。
「その点は羨ましい。ほんとに」
「九龍が言うんだから、やっぱりすごいんだな。けど、俺が見た限りじゃ、彼はまだ自分の体の使い方を知らないな。能力を発揮しきれてないと思う。この際、ハンター候補として正式に訓練を受けてもいいんじゃないか? ずっとバディなの?」
「そうみたいだな」
「もったいないな。お前から勧めてみてもいいんじゃないか?」
「そりゃ、皆守がハンターになりたいんならな。でもあいつは、バディがいいって言うんだよ」
「ずっと?」
「そう」
「なんで?」
「さあ? なんでかな」
 九龍の声が笑みを含む。皆守は柱の陰で天を仰いだ。
 《秘宝》そのものに関心があるわけではなく、ただ彼を守りたい一心でバディという道を選んだ。だから《宝探し屋》になる気がないのは事実だ。
 とはいえ、それを明言した覚えもなかったのに、いつの間にか当人には知られていたようだった。今の九龍の言い方で確信する。まるで捨てた恋文を読まれてしまったかのようないたたまれなさが皆守を襲った。
 皆守は、とよそ行きの口調で九龍が言う。もう皆守本人には向けられることのなくなった懐かしい響きだ。
「これから先も、ずっと俺のバディだよ」
「惜しいなー。あのポテンシャルがあれば、今からでも全然遅くないのに」
「まあ確かに、その気があれば《宝探し屋》にはなれるだろうな。ないと思うけど」
「自信満々だな。根拠は?」
「世界一かっこいい《宝探し屋》がそばにいるのに、わざわざ二番目になりたがる奴なんかいないだろ?」
「はー」
 九龍の話し相手は、呆れ半分、感嘆半分の割合でため息をついた。
「さすが、ランクホルダーは言うことが違うな。腕の腱をやっちまったって聞いた時は、いよいよ年貢の納め時かと思ったのに」
「そんなのはもう治ったよ。次の依頼だって決まってるんだ」
「ヴィクトリア湖だっけ? まあ、大丈夫だとは思うけど気をつけてな。さて、開発部と約束してるから、俺はそろそろ行くよ。《秘宝》の加護のあらんことを」
 ハンターらしい挨拶とともに、足音が過ぎ去ってゆく。ソファに残された九龍は、のんびりとコーヒーを楽しんでいた。
 皆守はわざと気配を殺して忍び寄る。
「……で? 誰が世界一なんだ?」
「げえッ」
 皆守の姿を見るなり、九龍は失礼な声を上げてコーヒーをこぼしそうになった。盗み聞きされていたことには気づいていなかったようだ。本気で慌てふためいている。
「いや、ほら、誰しもちょっと気が大きくなっちゃう時ってあると思うんだよ」
 皆守は何も言っていないのに、九龍は唸りながら言い訳を重ね、やがてうなだれた。
 調子に乗っていた分、きまりが悪いのだろう。九龍自身の力量を誇示するだけならまだしも、話は皆守のことにまで及んでいた。
 小言を言われると思ったのか、九龍はしょぼしょぼした顔でちんまりと座り直す。
 だが皆守は、ただ彼の髪を撫でて、隣の席に腰を下ろした。
「九ちゃん、昼メシは?」
「まだ」
「だと思ったぜ」
 紙袋をテーブルに置く。支部の近くにあるカフェのサンドイッチをテイクアウトしていた。価格のわりに食いでがあって、体育会系の男たちの胃袋も満足させる逸品だ。
 袋を開けた九龍はぱっと目を輝かせたが、先ほどの話に触れてこない皆守を不思議そうに見やった。構わず、彼を促す。
「さっさと食って、早く明日の準備も済ませちまおうぜ。夜は飲みに行くんだろ?」
「ああ、うん。甲ちゃんが好きそうなところを予約してある」
 九龍が顔を綻ばせる。皆守も微笑んで、紙袋から自分の分のチキンサンドを取り出した。
 実際のところ、九龍が皆守について語った内容には、どこにも突っ込むべき点がなかった。
 すべて真実だったからだ。ずっとバディでいたいのも、彼が世界一だと思っていることさえ。
 自動販売機のボタンを押して、カップにコーヒーが注がれるのを待つ間、ガラスに映った皆守の顔はもう一度だけ、密やかに笑った。

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