熱い豆腐を一口で食べてはいけない

 《宝探し屋》に仕事納めの概念があるかは不明だが、十二月二十三日に完了した依頼をもって、今年の九龍は店じまいということになった。
 ハンターがそう言うなら、バディとしては反対する理由もない。久しぶりに鍋をつつきたいとのリクエストがあり、二人揃って日本へ帰ってきた。
 学生時代を過ごしたアパートの部屋は、九龍の専属バディとなった今でも、契約を解消せず残してある。数えてみたところ、八ヶ月ぶりの帰宅。周囲の店は多少入れ替わっており、昔世話になった激安スーパーがパチンコ店に変わっていたのは衝撃だった。
 おかげで買い出しには予想よりも時間を費やしたが、野菜と肉を切って既製のスープで煮込むと、間もなく食欲を誘う匂いが漂い始めた。さすがに土鍋は家になかったから、アルミの両手鍋だ。適当な段ボールを鍋敷き代わりにテーブルへ乗せる。
 九龍が「どれから食べるか選べない」とふざけたことを言い出したので、皆守が彼の分をよそってやった。最近野菜不足だから白菜とネギが多めだ。
「いただきまーす」
「おい、豆腐を一口でいくと……」
「あっふ!」
「……だろうな」
 古代文字の解読も、ギミックの解錠も、薬品の調合もできるのに、なぜ熱々の豆腐を一気に食べると危険だということを知らないのだろう。
 人格のベースがアホなんだろうな、と自己完結し、皆守はペットボトルの水を渡した。九龍は湯気の向こうでゴキュゴキュと喉を鳴らしている。
「舌火傷した……。今度から、鍋には海藻サラダだな」
「そりゃまた、斬新な組み合わせだな」
 とはいうものの、このところ《宝探し屋》仕様の食生活を送っていたせいで、腹持ちがよく栄養が取れればなんでもいいという考えになりつつある。食育の敗北であった。
 外は日没前でも凍えるような寒さだったが、とろっと野菜の溶け込んだスープを啜っているうちに、すっかり体が温まった。缶ビールを開けたせいで少々眠気も感じる。
「今年はかなり環境変わったと思うけど、どうだった?」
 投げかけられた質問について、あくびをしながら考える。勤めていた職場を辞め、九龍のバディをしつつ研究を進めるというスタイルに変更したのは、今年の春のことだった。
 四月から十二月。思い出は数あれど、すぐ出てくるのはこれだ。
「砂っぽかったな」
 遺跡の罠にかかり、流砂で溺れて死にかけたことがあった。髪を洗っても洗っても砂の粒が出てきたので、色濃く記憶に残っている。九龍も遠い目をした。
「溺れるならせめて水がいいよな」
「まあ、五十歩百歩だな。で? お前はどうなんだ」
「ん?」
「今年」
「うーん……、朝起きても夜寝るときもお前がいて新鮮だった。実はここだけの話、隙を見て寝顔の動画を撮った」
 盗撮。しかも寝顔。しかも動画。スマートフォンを死守したい九龍と、スープの残る鍋へ叩き落とさんとする皆守で、狭い部屋の中は戦場のごとく荒れた。
 激闘の果てに《秘宝》を守り抜いた九龍が、ラッピングされた包みを出す。
「そんなことよりこれ、プレゼント」
 羽田に着いたのが日本時間の今日、十二月二十四日の昼だったので、空港内のショップで互いに贈り物を買うことにした。中身は開けるまで内緒。一言では言い表せない関係になってから初の試みだ。案外、年齢を重ねてからのほうが一周回ってしょうもない遊びをしたくなる。
 とりあえず九龍のプレゼントを受け取り、皆守も白い紙袋を渡した。中にはリボンのかかった小箱が入っている。
「なになに?」
 九龍は瞬く間に紙袋を剥ぎ取り、リボンを放り捨てて小箱を開けた。
「ピアスだ! ありがとう。この石きれいだなー」
 本当は「つけてやろうか」と申し出ることもやぶさかではなかったのだが、九龍はうきうきと自分で装着した。顔を傾け、ピアスホールに通した姿は見せてくれる。
「どう、似合う?」
「俺の審美眼もそう捨てたもんじゃない、ってところだな」
 九龍のえびす顔を前に、こちらもプレゼントのリボンをほどく。細長い包みだ。アウトドアショップのロゴが入った包装紙を丁寧に剥がし、四角く折り畳む。
 箱を開けると、長い棒状のものが出てきた。金属製で、終端には円錐形のパーツがついている。
「なんだ、これは?」
「伸縮式のファイヤーブロアー」
「……ってのは、なんだ」
「火吹き棒。簡単に火を起こせる。野営のとき便利」
 銀色の筒に、皆守の笑みがぼやけて映っている。
「昔から思ってたが、お前、絶望的なほど贈り物のセンスがないよな」
「えっ、嘘。八十センチまで延びるのに」
「長さの問題じゃない」
 九龍はいたくショックを受けた様子だ。十年以上前、どこで入手したかも忘れて、皆守にレトルトカレーをプレゼントしてきたことがあった。こんこんと社会常識を説いてやったら、毛を刈られたアルパカみたいにげっそりしていたっけ。そのころからまるで進歩が見られない。
 だが、もらったものはもらったもの。実用性に欠けるがらくたをよこす男ではない。きっと今後の旅路で役立つだろう。
「ま、一応礼を言っておく」
「リベンジ」
「今年の分はもう受付終了だ。また来年」
「くそー」
 九龍がごちんとテーブルに額をつける。皆守は笑って、新しいビールを出してきてやった。
 くだらないものでも、色気のないものでも、きっと皆守はプレゼントを受け取り続けるだろう。
 だからこの先のクリスマスは、九龍が皆守のために頭を悩ませるだけの、ただ単に幸せな日だ。一生、そうに決まっている。
「あっそうだ、ラーメン」
 九龍が唐突に起き上がる。額が丸い形に赤らんでいた。
「さっき買ったやつ! 鍋のシメ! 食べようぜ」
「そんなに食いきれるのかよ」
「いけるって。あと豆腐も」
「それこそ来年リベンジしたらどうだ?」
「今年の豆腐は今年のうちに」
 鍋を持って、九龍がいそいそと立ち上がる。やがてキッチンのほうから、コンロに点火する音と、調子っぱずれな鼻歌が聞こえてきた。
「待てよ? 鍋と豆腐とラーメンで鍋豆腐ラーメンが作れるんじゃ……」
「おい、人の台所で妙なものを調合するんじゃない。ったく、お前は目を離すとすぐにそれだな」
 腰を上げ、キッチンまでぺたぺた歩いてゆく。誕生しかけていた創作料理に待ったをかけながら、皆守は笑った。九龍の耳には贈ったばかりのピアスが光っている。
 十二月二十四日は、そんなありふれた一日だった。

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