朝の挨拶
朝日の眩しさは健康に悪い。そう思えるほど目に刺さる。
皆守は早朝に起床し、朝のホームルームに間に合うよう身支度を整えたところだった。これまでを思えば驚異的なほどの学校生活への適応っぷりだ。
担任の雛川がうるさいからというのと、朝いちいち声をかけてくるやつがいるからというのが理由だった。最初は叩き起こされて寝ぼけ眼で登校していたが、慣れとは恐ろしいもので、そいつが来る時間に合わせて準備が完了するようになってしまった。眠いことには変わりないので、ときおり船を漕ぎながらだが。
いつもより少し早い時間にノックの音が響く。はて、と羽織ろうとしていた学生服の上着を腕に抱えたままドアを開けると、どことなくくたびれた風情の九龍が傾きながら立っていた。
「ごめん、十分だけ寝かせて」
「はァ?」
九龍はよろよろと部屋へ踏み入り、ばたんきゅーとベッドに倒れ込んだ。さすがに主だった武器こそしまってきたようだが、アサルトベストと暗視ゴーグルは装着したままだ。皆守にお声はかからなかったものの、昨夜も遺跡に潜っていたのだろう。
しかし、この時間までというのは妙だ。さすがにいままでも丑三つ時には探索を終えていた。そういえば明け方、男子寮の同じ階でかすかに話し声が聞こえた気がするが、あれと関係があるのか。ともかく、
「自分の部屋で寝たらどうだ」
と声をかけるが、時すでに遅し。安らかな寝息が聞こえてくる。皆守はため息をついて、持っていた学生服をうつぶせの背中にかけてやった。
十分間寝かせて、というのは、つまり十分後に起こしてほしいということだろう。自室では寝過ごしてしまうからと考えたに違いない。そこまで思考が追跡できる程度には付き合いが深くなっている。
皆守甲太郎を目覚まし時計代わりに使う人間など、きっとあとにも先にも九龍だけだ。まず、そこまで他人に信頼されることがあり得ない、と思う。
椅子に座り、念のため鞄の中の教科書などを確認しながら、時間が経つのを待つ。それから、アロマパイプとカートリッジとライターと。
きっかり十二分経ったところで、九龍を揺り起こす。二分間はおまけだ。朝の睡眠時間の尊さはよく知っている。
「九ちゃん、十分経ったぞ」
「はっ……」
九龍が背筋の要領で起き上がる。背中にかけていた皆守の学生服が滑り落ちた。
「ありがと」
「何かあったのか」
探りを入れると、九龍は暗視ゴーグルを外しながら考え込んだ。顔にはくっきりと跡がついている。
「何か……。金ピカで、神鳳と闘って、なぜか夕薙とも闘って、倒れちゃったからルイ先生呼んで、咲重ちゃんとリカちゃんは先に帰らせて……いつの間にか朝になってた」
「待て。神鳳はともかく、なんで大和が出てくる?」
「いろいろあって」
そのいろいろを尋ねているのだが。九龍はあくびをしながら「俺も把握しきれてない」と答えた。
「夕薙が回復したら、また話しに行くよ。とりあえず学校行かなきゃな」
「行くのか」
皆守は少々の驚きをもって、ベッドの上にあぐらをかいている九龍を見つめた。授業への出席率などどうでもいいだろうに。部屋で一日休んでいたところで、せいぜい雛川や八千穂がうるさいくらいだ……いや、それはそれで大ごとかもしれない。
九龍は迷いない手つきで、自身の装備を外していく。思えば、いつも自室の扉の前で別れるので、ものものしいあれこれを脱ぎ捨てる瞬間は見たことがなかった。
自身のものと似ているようでまるで違う指が、あらかじめ定められていたように葉佩九龍の皮を剥く。アサルトベストが体からずれないようにするベルトや、いくつものポケットとその中身。混乱しそうな情報量を、九龍は己の手足かのごとく捌ききる。
伏せられていた瞳が急にこちらを向き、ぱちぱちと瞬いた。
「どしたの、甲ちゃん」
「いや、べつに」
どんなにアホ面を晒していても、こいつは単なるクラスメイトではないのだと実感しただけだ。
「学校は、行くよ。仕事の一部だからね」
「そういうもんか」
「個人的なことをいえば、幅広くいろんなことを知れて面白いし」
「確かに、えらく偏ってるよな。お前の知識は」
「そこはやっぱり、教育って大事だよね」
そう言って笑う九龍がどんな教育を受けてきたのか、皆守は知らない。何を食べて、どこの空気を吸って、どの屋根の下で眠ってきたのか。
それでも九龍は皆守の友人だ。だから、机を並べて授業を受ける。まだそれくらいのことは許されている。
「さー、行くか。一時間目はなんだっけ?」
「日本史だろ」
「げっ、寝そう……。居眠りしてたら起こして、ライターかなんかで」
「投げろってか。心配しなくても、あの爺さんだって生徒が寝るのなんて慣れっこだろ」
「いやー、内容は面白いんだよ、内容は……」
高校生らしい話に興じながら、二人は朝の男子寮をあとにする。
行き先は一つ。
どんな場所で生まれた人間も同じ服を着て、同じ決まりのもとで動く場所、学校へ。