揃
ある雨の日の昼下がり、遅い昼食を取るために入ったファミリーレストランにて、
「そういえばお前、昔に比べて食う量減ったよな」
と皆守がのたまうものだから、九龍は迂闊にもフリーズしてしまった。
といっても、時間にしてコンマ数秒の話だ。何事もなかったかのように「やっぱり年取ると量食えなくなるよね」と答えたにもかかわらず、皆守は目ざとく異変に気づく。
「何かあったのか」
ハンバーグのつけ合わせのにんじんを切り分けながら、九龍はため息をつく。こちらの身を案じているからだと知ってはいるが、その観察力、何か他のことに使えばいいものを。伝えたら倍になって返ってくることもわかっているので、口には出さない。
「なんにもねーよ、老化老化」
「まだ二十八だろ」
「もう二十八だよ。もうすぐ三十」
「三十路が近づいてくると、昨日まで一口でいってたものをちまちま切って食うようになるのか?」
行動の不自然さを指摘され、九龍は再びため息をついた。皆守に嘘をつこうとして成功したためしがない。
「訂正する。言いたくない」
「……なら、聞かないけどな」
と口では言いながらも険しい顔になるのは、あの頃よりも大人になったとはいえまだまだ青二才だということか。
気づまりな空気のまま食事をする煩わしさに負け、九龍はなるべくなんでもないように早口で白状した。
「昔ちょこっと大喧嘩した時に怪我しただろ俺。胃と腸。あれ以来食べ過ぎるとお腹痛くなったり気持ち悪くなったりすんの。うまく消化できないの。以上説明」
一口大になったじゃがいもの素揚げを見つめながら言い切ったが、皆守の返事がないのでそろそろと顔を上げる。
そして、後悔した。
「あぁもぉー! そんな顔するってわかってたから言いたくなかったんだよ! 高校生の頃の喧嘩引きずってんじゃねーよ優しさの塊かバファリンかお前は」
それだけ思われていることへの気恥ずかしさと、自分の失言への反省と、なんとかして慰めたい気持ちが渾然一体となってやってくる。一人で暴れる九龍をよそに、皆守は傍目には落ち着き払った様子だった。
「悪」
「悪かったとか言ったら……怒るぞ!」
殴るぞ、と強気な姿勢に出たいところだったが、皆守を本気で殴りたいとは夢にも思わなかったのでやめた。別に怒りたくもないが、それくらいなら許されるだろう。子供じみた響きになってしまい、台詞はまるで決まらなかった。
「喧嘩で済ませるようなもんじゃないだろ」
「喧嘩だろ。俺はむしろ嬉しかったよ、本気で向かってきてくれて。だからハッピーな記憶と言っても過言ではない」
「過言だと思うがな……」
互いに過去をぐずぐず引きずるような付き合いを好むたちではないが、さすがにネタがネタだけあり、皆守はまだ浮かない顔をしている。
九龍は困って視線を窓の外に逃がした。建物の二階にあるこのレストランからは、目の前の交差点が見下ろせる。アスファルトにできた水たまりに車のテールランプがぼんやり映っていた。
「……俺、運転はできるんだけどさ、日本に帰ってきた時に車は乗らないことにしてんだよね。なんでかわかるか」
皆守がわずかに首を傾げて、言葉の続きを促す。
九龍は胸を張って、ただし周囲に配慮した小声で言った。
「俺が乗るのは甲ちゃんだけって決めてるからな」
「乗られるの間違いだろ」
渾身の下ネタはあっさりと返されてしまった。場を和まそうと白昼堂々思い切った行動に出た恥ずかしさを切って捨てられ、九龍はいたく憤慨する。
「お前マジうるせぇ!」
「うるさいのはお前だろ。まあ落ち着けよ」
思わず叫んでしまい、周りの目を気にして小さくなる。泣こうが喚こうが誰の耳にも届かない秘境とは異なり、ここは文明社会だ。
「俺はほんとに気にしてないし蒸し返すつもりもないんだよ。どうしたら伝わるかなー」
「今ので伝わった」
「ほんとに?」
皆守が頷くので、ひとまずこの話はこれでおしまいということになった。九龍が何も言わなくても、皆守は絶対に過去の行いを忘れたりしないだろう。どうけりをつけるかは彼の問題だ。
いつものように、どうでもいい話をしながら食事を再開する。小さく切った野菜はいちいちフォークで刺すのが面倒な上に、食べ応えがない。結局二、三個まとめて貫くことにした。「野蛮人みたいだな」と遠慮もへったくれもない感想を述べられて激怒したが、黙りこくっているよりはずっとよかった。
だいたい同時に食べ終えて、フォークを置く。皆守がこの後行く予定の熱帯植物園へのアクセスを調べている間に、九龍は一つ発見をした。
「なあ、俺、一個いいことに気づいたよ」
「いいこと?」
皆守が疑い半分に携帯電話から目を上げる。
「今、一度に食べる量がだいたい大人一人分だからさ、甲ちゃんと同時に食べ終われる。昔はいっぱい頼んでたから、よく待たせてたじゃん」
「そうだったか? よく覚えてないな」
皆守は本気で首をひねっている。待たされたとは捉えていなかったのだろう。
「甲ちゃんが覚えてなくても、俺はこういうことにささやかな幸せを感じたりするわけよ」
「……そろそろ行くか?」
否定しないということは、同意ということだ。この十年で見つけた目に見えない法則に、九龍は笑みを深くする。失ったものも確かにあったが、得たものだって数え切れないほどある。
「あー待って待って。お手を拝借」
「それは一本締めだ」
「細かいことはいいの。はい、せーの」
ごちそうさまでした。