冬来たりなば

 一月。
 三年生は年明けから自由登校になっていたが、外部の学習塾へ通えないこともあって、課外授業が盛んにおこなわれていた。
 強制参加ではないものの、蓋を開けてみれば出席率は悪くなかった。受験直前まで寮に引きこもるより、励まし合いながら力を蓄えたい生徒が多かったのかもしれない。
 白岐もその一人だった。課外授業は席の指定がなかったので、うんうん唸る八千穂と並んで一生懸命問題を解いた。
 アスファルトに咲くたんぽぽのごとく密やかに生きていた白岐には、何もかもが新鮮に映る。授業後に八千穂が「トランプをやろう」と言い出したことさえも、白岐をいちいち驚嘆させた。
 誘いを受けて近くにいた夕薙を見上げると、彼は下校するところだった皆守を捕まえ、文句を言われながらも教室へ連れてきた。
 机を四つ集め、全員で輪になる。白岐がトランプの遊び方に明るくなかったため、ルールの単純さからババ抜きをすることになった。
 八千穂、白岐、夕薙、皆守の順で、隣の人の手札からカードを一枚ずつ引いてゆく。白岐は夕薙からジョーカーを受け取ってしまい、こっそりと手札の一番端へ移動させた。これまでの数分間で、八千穂が手札の中央にあるカードを選びがちなのは把握している。
 ところが白岐の配慮むなしく、突如気まぐれを起こした八千穂は、ものの見事にジョーカーを引き当ててしまった。
「お前、顔に出すぎだろ」
「みんなが出なすぎるんだよ〜」
「素直なところは八千穂の美点だと思うがな。おっ、あと一枚だ」
 夕薙がエースのペアを場に捨てる。皆守は、念入りに切られた八千穂の手札から一枚を引いた。白岐が見る限り彼は完璧なポーカーフェイスだったが、八千穂の急激な表情の変化から、ジョーカーがどこへ移動したかは容易に知れた。
 かくのごとき明け透けさから不利かと思われたものの、八千穂は強運を発揮して、いの一番に勝ち抜けた。結局、最後まで夕薙にジョーカーを引いてもらえなかった皆守が最下位だ。
「おっと、もうこんな時間か。夕飯でも一緒にいかがかな、お嬢さん方」
「もちろん! いいよね、白岐サン」
「ええ」
「甲太郎もそれが終わったら来ていいぞ」
「ちッ……」
 ささやかなペナルティで机の位置を戻していた皆守から、舌打ちだけが返ってくる。否とは答えなかったから参加するのだろう。
 久しぶりに腰を上げると、窓の外はすっかり夜の帳が下りていた。校舎前の街灯が作る光の球の中に、下校する生徒たちが現れては消える。
「どうしたの、白岐サン?」
「初めてだわ。こんな時間まで、教室に残っていたの」
「部活以外でも校舎に残れるようになったの、三学期からだもんね」
 八千穂がコートのボタンを留めながら白岐の隣に並び、窓の外を見下ろす。夕薙は一歩引いて身支度を整えていたが、意識はこちらに向けているようだった。
「……九チャンとも教室でババ抜き、したかったなァ」
「はは、俺もだ。どうだい、卒業式の後にもう一戦」
「わあ、そうしよう! ……でも、ホントに来るかな?」
「来るだろ」
 四組の机と椅子を片づけ終えた皆守が、大儀そうに伸びをする。
「……じゃないと八千穂が急所にスマッシュをお見舞いするぜ、って言っといたからな」
「ちょっと、皆守クンッ」
 憤慨した八千穂に追いかけられ、皆守が意外なほど素早い身のこなしで逃げ出す。教室を出るところで、引き戸に手をかけて振り返った。
「おい、メシ行くんだろ」
「ああ、今行く」
「卒業式の日……」
 頭に浮かんだことを話そうとしたら、夕薙とタイミングが被ってしまった。夕薙はジェスチャーで「どうぞ」と促し、皆守と八千穂は休戦して耳を傾ける。だから、白岐は自分のペースで話すことができた。
「……トランプが終わったら、五人でご飯を食べに行ってもいいかしら」
「なーんだ、そんなの当たり前だよッ。負けた人の奢りにしようね」
 皆守が露骨に嫌そうな顔をするのも構わず、八千穂はふわふわの手袋に包まれた手で、白岐の手を取った。
「今、廊下に出たら息が白くなったのッ。手繋いで行こ!」
「よし、電気を消すぞ」
 夕薙が白岐と八千穂を教室の外へ出す。一人待っていた皆守は、上まで閉めたコートの襟元に鼻先まで埋めている。
 校舎の外に出ると、教室から眺めていたのと変わらない景色が四人を出迎えた。暗闇の中にぽつぽつと街灯が並び、生徒たちの家路を照らし出す。
「あー、寒ィ」
「皆守クンも手繋ぐ?」
「なんでそうなる」
「照れ隠しか、甲太郎」
 からかう夕薙と八千穂に、皆守は「暑苦しい奴は一人で十分なんだよ」とむくれる。
 布越しでも温かい八千穂の手に誘われ、白岐のローファーは、アスファルトの上で小気味よい音を立てた。
 春が来たら、彼の足音も聴けるだろうか。
 彼が立たせてくれた、この道の上で。

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