やさしく洗って

 すっかり冷え込んできた今日このごろ。だが皆守のおかげで、いまこの瞬間は空腹も満たされ、温まった体を心地よく投げ出している。
 九龍は皆守の椅子を借りて前後逆さに座り、背もたれに顎を乗せてうとうとしていた。
 皆守が気まぐれを起こし、腕によりをかけて夕食を披露してくれたのが一時間ほど前。食欲をそそる香辛料の香りにいざなわれ、《執行委員》の面子がひょいと顔を出したのがそれより少しあと。皆守は文句を言っていたが本気ではなかったらしく、男子寮の部屋にぎゅうぎゅうになってみんなで渾身の一皿を堪能した。
 文句なしにおいしかった。何より、あの皆守が人のために作ってくれたというのが効いている。
 すごいね皆守君は、さすがでしゅ、感服したでありマス、と口々に称賛されてくすぐったそうにしていた部屋の主は、先ほどから洗い物に専念している。ご相伴に預かったメンバーがやると申し出たのだが、カレーは落とすのにコツが要るので、慣れた人間がやったほうが効率がよいのだそうだ。
 それで、他のメンバーは何度も礼を言って退出し、九龍だけがなんとなくここに残っている。
 皆守は手慣れた様子で後始末をしていた。まず厚紙で鍋や食器の輪郭をなぞるようにルーをこそげ落とし、それからシンクに置く。
 ニットの袖が濡れないように捲り上げられ、肘から下が現れた。スポンジを手に取るだけの動作でも、筋肉のラインが水面の波紋のように薄く浮き出る。見たところ、筋肉の量も脂肪の量も九龍のほうが上らしい。滑らかに浮かび上がる線は、曼珠沙華の花弁と同じくらいぺらっとしていた。
 皆守はスポンジを取り、透明な液体洗剤をとろりと垂らした。何度かくしゅくしゅ揉むと、皆守の指の第二関節までがもこもこした泡に埋もれる。
 さすがに全員分の皿を揃いで置いてはいなかったので、各自がばらばらの食器を使っていた。たとえば、取手はあの体躯に反して食が細いため、トーストを一枚置くのにちょうどいいサイズの平皿。真っ白で上品なデザインだが、雑に洗うとすぐ傷がついてしまう。
 皆守はたくさん泡を作って、ふわふわと撫でるようにスポンジを滑らせた。お湯の温度が熱すぎないか確かめてから、くるんと皿を回して泡を洗い流す。爪の短い指先が、うっすらと皿のふちに刻まれた溝を一周分たどった。
 肥後が使っていた皿は、もともと木製の大ぶりなサラダボウルであったらしい。深みがあり、球体に近いフォルムをしている。カレーの色や匂いが染みついてしまうのではないかと肥後は当初気にしていたが、他にしっくりくるものがないという持ち主の鶴の一声で、これを使うことになった。
 木の皿は湿気を残したままにするとカビが生えやすいらしく、皆守は洗い終えるなりすぐに布巾を手に取った。まるで誰かの洗いたての髪をタオルで拭くときみたいに、くしゃくしゃと全体の水気を取る。それから布巾を折りたたみ、なだらかな稜線を優しく圧した。仕上げに、ぽんぽんと軽くはたくようにする。
 墨木の皿は、昔ながらの洋食屋で出てきそうなブリキの平皿だ。ガスマスクがあるから当然だが、彼はあまり食べ方が器用ではないので、万が一落としても割れない素材にしたのだという。墨木も金属のほうが手に馴染むらしく、独特の角度で舌鼓を打っていた。
 ここまできてやや面倒になったのか、はたまた多少手荒に扱っても問題ないという判断なのか、皆守の手に握られたスポンジが力強く表面を擦る。手の中で形を変えたウレタンが、ぎゅちっ、と張り詰めた音を立てた。かと思えば、泡を洗い流す手つきは丁寧だ。皿の一番外側にある溝を爪の先まで使ってきれいにしている。
 次は皆守が使っていた皿だ。マミーズのカレー皿を譲ってもらったとかで、楕円形の深皿だった。底面にはマミーズのロゴマークがプリントされている。もっとも使い慣れているものだからか、おざなりに洗って終わりにしていた。もう少し大事にしてやったらどうだと言いたくならないでもない。長年使用した物には付喪神が宿るともいうし。口を挟むほどのことでもないので九龍は黙っていたが、腹の底がむずむずした。もしまたご馳走になることがあれば伝えよう。今度こそ九龍が皿洗いをしてもいい。じっと眺めていたので勘所はだいたいわかった。
 九龍の使っていた小ぶりなガラス皿が最後に残った。見るからに変てこな形だ。おそらくデザートなどに用いられるものだった。皆守がそれぞれの皿を出すとき、取手から順に割り振っていったので、九龍には収納の奥にあった一枚を渡すほかなかった。
 ちょこんと盛られたカレーを前にして、九龍が馬鹿正直に「もっと食べたい」と言うと、セルフでのおかわりを命じられた。他の三人には皆守が手ずからよそってやっていたのに。
 出会ったばかりのころなら理由に見当がつかず首をひねるところだが、いまの九龍にとっては初歩の謎だった。つまり、相手に嫌われるかもしれないと思っていれば使いにくい皿は出せないし、己のテリトリーへ踏み込まれるのに慣れていない相手なら、炊飯器や鍋などの日常的に使う器具には触らせにくい。それができるくらい九龍との距離が近いということだ。物理的にではなく、心理的に。
 この推理は当たっている自信があった。難しいロジックにはめっぽう弱いワトスンも、親友の心の動きくらいならなんとかなる。彼にとって、部屋に何人もの友人を招き入れることが偉大な進歩であることも理解できる。今日は記念日だ。
 さて皆守は、九龍のにやけた顔などいざ知らず、ガラス皿に取りかかっていた。流線形の不規則なフォルムはいかにも洗いにくそうだ。スポンジを細くしてくびれたところを擦ったり、ときにはじかに指を使ったりして端から汚れを落とす。最終的に、細かいところは手で洗ったほうがやりやすいと気づいたらしい。先の平たい親指が湾曲したさざなみを撫で上げる。
 この皿は透明なガラスでできているので、洗剤を洗い流すときには、内側に押しつけられて白くなった皆守の指先まで見ることができた。数ミリメートルのガラスを隔ててわずかに歪んでいるが、揃えられた指が皿の底でぐるりと円を描く。表面も底もすべてなぞって、もう触れていないところはどこにもないという段になり、ようやくお湯を止める。今まで使っていた布巾がぐっしょり濡れてしまったからか、新しいのを出して皿を拭いた。布とはいえ、強く擦ると傷がつくからだろう、皿全体をくるんで揉むように水気を吸い取る。落ちないよう慎重な手つきでガラス皿を置き、いくぶんか水を吸った指先はシンクの上にある電灯の紐を絡め取った。
 ようやく皿洗いを終え、よれっとしたエプロンを外しながら、皆守が振り返る。

「皿洗いなんか見てて楽しいか?」
「楽しいっていうか」

 なぜか、ちょっと興奮した。

back